毒母と電話

やばい、思い出したくないのにずるずると思い出してしまう。

これぞフラッシュバック……。

 

この記事のテーマは「毒母と電話」です。

 

 

大学の頃、生家からは物理的に遠い場所で一人暮らしの私に、週2~3回、母からの電話があった。

母はいつも酔っ払ってかけてきているようだった。

開口一番、
「あんた!いつ大学辞めるの!!」
と、母は怒鳴り、私の学費が大変で家が傾いていること、私が無駄なお金を浪費していること、学生だからお金のありがたさが分かっていないこと、だから働いてお金のありがたみを分かったほうがいいこと……と、怒鳴り続け、

 

「もう仕送りはやめるからね!!」
恐喝を混ぜ込む。

 

そして、話題は冒頭へとループする。
「あんた!いつ大学辞めるの!!」

 

 

本当に学費の振込を中止されたらどうしよう。
それが、当時の私の唯一にして最大の恐怖だった。

なので完全に母からの電話を無下にすることもできなかった。

 

かといって、ド平日の夜に、週2~3回、母からの2時間の電話に割く時間は、残念ながら、なかった。

 

通っていた大学では、毎日山のように宿題がでた。

私は、課題やらレポートやら片付けつつ、利き手でペンを走らせ、目は教科書を追い、もう片方の手で受話器(当時は固定電話)を持って、母の電話をやり過ごさねばならなかった。

 

電話はいつも最低、2時間は続く。

 

私はそのうち、電話の受話器を180度、回転させて持つようになった。
音が聞こえる部分は、顎にあたる。
これなら母の話の恐喝や恫喝を聞いて、不安に陥ることもない。

 

 

それにまじめに聞いたところで、母の話はどこまでが本当でどこまでが嘘なのか、そしてどこまでが妄想なのか、さっぱり分からない、支離滅裂なものだった。

 


180度回転させたコードレスの受話器にむかって、時折「はぁ」などと、一応あいずちを打っていればよいだろう、と考えた。

 

そんなある晩、ふと気づくと、片手に持っていたはずの電話が、ベッドの上にころがっていた。
どうやら勉強に集中して、コードレス受話器を無意識のうちにベッドの上に放り投げたらしい。

 

私は椅子から立ち上がり、ベッドの上の電話をとろうと手を伸ばした。
瞬間、背筋が凍りついた。

 

 

なんと、母が、まだぶつぶつとしゃべり続けているのだ。
母からの電話を受け取ってから、2時間は経っていた。

 

 

 

この人、誰も相槌をうたない電話に向かって、2時間もしゃべり続けてたのか……。
そう思うと、ゾッとした。

 

 

そのまま、無言で、受話器を電話の受信機に戻して、電話を切った。
インコのしゃべり声のような、意味不明なぐじゅぐじゅした音が、消えた。

 


以前母からの電話に耐え切れず、無言で切り、間髪いれず怒りの電話で怒鳴り散らされたことがあった。

 


もう私の今夜の毒・許容量は、一杯です。

 

 

私はそっと、電話のコードを、壁から引っこ抜き、ようやくほっとして、勉強に戻った。

 

問題を先送りにしていることはわかっていた。
けれど、私には、どうしても、その夜のうちに仕上げなければならない課題があったのだった。


(問題を先送りにした代償は、数年後に払うことになりました。)