『失職女子。』の主人公は、私ではありません

ぜんぜんへーき、と思っていたけど昨日夜の10時ごろ布団に入って、今日夕方の6時過ぎまで布団から動けず、

「死ぬ死ぬ死ぬ!このまま死んじゃうんだ!」

という思いに支配されるに至って

「あ、もしかしてパニック発作起こってますね?」

と気づいた。

 

そして考えた。

「今日は何曜日だ、土曜日か……」

今日は火曜日だよ!

やばい。パニック発作に加えて、めっちゃ乖離してるぅぅ。

 

乖離しているときは、今ここがどこで、いつなのか、よくわからない。自分の名前すらよくわからなくなる。

 

いろいろ、気を付けてるつもりなんだけどねぇ……。症状が出ちゃうんだよねぇ。

 

「本の内容」ではなく、「私個人」のことをいろいろ聞かれるのは、私はやっぱり苦手みたいです。

 

そもそもどうして「本の内容」よりも「私個人」のことが質問に上るのだろう?そのこと自体、私には理解できない……。

 

そして痛感する。私は、「自分のこと」や「自分の過去にあったこと」を人に語ったり、社会に知ってもらいたいとは少しも思わない。ましてや、「わかってもらいたい」なんて、一ミリも思わない。

 

なのに、例えばだけど「あなたの親はどーしてあんなことをしたんですか?」というような質問をされる。親の気持ちなんか代弁できないし、私としては、「知らんがな」としか答えられない。

例えば「本当にあなたの親はそんなことしたの?」などと聞かれても、私は自分に起こったことを「本当にあったんです!」と主張するために、いるんじゃないんだけどナ。なーんておもってしまう。

 

「別に全部うそだと思ってもらっても、私は全然構わないんですけどね。」これが本心。けどこんなこと言ったら喧嘩腰?と思われそうなので、言わない。

 

そしてかみ合わない会話。ああごめんなさい。私の歯切れが悪くてごめんなさい。過去のこととか上手く説明できなくてごめんなさい。

 

じゃあなんで本なんか出したんだ?→本を出すこと、そのこと自体に魅力を感じたからです。自分の考えを社会に広めたり、自分の過去をみんなに知ってもらったり、ましてや分かってもらうためではないのです。

 

ひとつ言えることは、『失職女子。』をみんな、私個人のストーリーだと思っているかもしれないけれど、私の中では、どちらかというと、フィクションなんですよ。

『失職女子。』の主人公は、私ではありません。これは、ブログを書き始めた最初のころからなんだけど、私の中にある、わりと天真爛漫な人格を召喚して、そのコに語ってもらった、というかんじなんです。

なのでこのブログも一人称がいろいろ変るのは、その時々で召喚してる人格が違うから。

召喚した人格目線でいろいろ語ってもらっているのです。

実際に起こったことを元に書いてるってことは、本当ですけどね。

けど「私個人」にが集中してしまう状況に戸惑っているし、違和感を感じている。そんな状況なのかな。と自分では解釈しています。