閉鎖こそ免れたものの、実質閉鎖したも 同じかもしれない

※以下、約一年半前に起こったことについて書いてます。

 

うまく説明できないことについて書きます。

 

本を出版させていただいたころ、

某ジャーナリストさんから取材を受けたことがあった。

本の出版社の会議室で合計6時間ほど出版社の方や

編集の方とその取材に対応した。

 

結果、書かれる記事は

「私が誰であるかがわかる人が詠めばわかるような

個人を特定できるたくさんの情報とともにこのブログを引用する、

ちなみに出版された本を紹介するかどうかは不明」

という驚愕の内容になる予定であることが判明した。

 

「出版社の会議室」を6時間も使っておきながら

本を紹介することは約束できないって

よく言えるなあ……、というのが第一の感想だった。

出版社の偉い方が淹れてくれたお茶、のんだよね?

お菓子も食べたよね?

出版社はプロモーションとして

都心の一等地の会議室、6時間もただで使わせてくれてるのに。

なのに筋とーさないんだー、へぇぇぇ……。

 

メディアの世界は、私が働いていたような会社での

常識は通用しないんだな、とそら恐ろしくなった。

 

次に、私が誰であるかわかってしまったらこのブログ

は閉鎖するしかないな、と思った。

ブログと連動しているツイッターも閉鎖しなきゃ。

と思った。

 

ふつーの一般市民は、

個人を特定できる情報は、ネットには書き込みません。

こんなこと、小学生でも知っている。

 

けれどブログもツイッターも閉鎖しなきゃならないとなると

このブログとツイッターが発足した当時から

読んでくださっている方々には申し訳がたたないなー

と思った。

涙が出てきた。

 

こちらを読んでくださっている方々は

私が本当に生きるか死ぬかの状況だったときから

見守ってくださっているわけなので。

 

数年間かけて育ててきたこちらのブログとツイッターアカウント。

人気アカウントでも、有名アカウントでも全然ない。

だからこそ、誰にも迷惑かけずに本当のことが書けたわけだが。

 

もうここもいられなくなってしまった。

さようなら皆さん……と思ったら涙が出てきた。

 

その記事は掲載を中止していただいた。

そのジャーナリストさん含め、誰も得をしなかった。

 

この件をきっかけに、私はこのブログに書き込めなくなってしまった。

 

これまではこのブログに興味をもってくれている人しか

わざわざ読みにきてくれたりしなかったけど、

今は興味のない人でもわざわざ読みに来ているのか……??

一旦そう思って思うと、

多分にヒガイモウソウでしかない

(実際、世間的にみればアクセス数もたいしたことない)

と頭ではわかっていはいても

感情がついてこなかった。

このブログに書き込むのが気持ち悪くてしょうがなくなってしまった。

うまく説明できないんですけど。

 

なんとか記事にするのはやめてもらって

ブログもツイッターも閉鎖こそまぬがれた。

 

けれど、名称を変えたりと中の人としては

いろいろと不毛なカモフラージュを施すようになった。

 

いくらカモフラージュしても

気持ち悪さがなくなることはない。

それでも気持ち悪いからカモフラージュを重ねる……

ということを繰り返し、

私の大切なブログちゃんは

気づけば発足当時からは遠いすがたに、

一体だれが書いてるのかも判然としない

つぎはぎだらけの哀れな姿になってしまった。

わたしの手によって。

 

閉鎖こそ免れたものの、実質閉鎖したも

同じかもしれない。

 

たいせつな場を守りたかっただけなのに

なぜ私は説明ふくめ、なにもかも上手くできないのか。

ああ不毛。