全否定と死にたい気持ちと自分を許すこと

 

「なるべく多くの人に見てもらうかどうかはそんなに大事じゃなくて、本当に必要としてくれる人に届けばそれでいいんです」

とか言うのは、よくない。一緒にお仕事して下さってる方々に対して失礼だから。

 

 重々わかっているはずなのに、時々(というかよく)ぽろっとこういうことを言ってしまう。

 

 そして反省するんだけど、けど、やっぱり本音としては上記のとおりなので、いつも、周囲にご迷惑をかけてしまう。なぜ私はこんななんだろうか。と考えていたらひょっとしたら原点かもしれないできごとを思い出したので、書いておく。

 

 

 大昔、アメリカのとある美大を卒業するとき、私はこのような通知を受け取った。

「貴様成績エエからHighest Honorsで卒業させてやる。ポートフォリオと申請書類を提出せえコラ。」

 

 Honorsっていうのは、アメリカの学校のシステムで「誉れ」の称号つきで卒業できる、といもの。Highes Honorsは、その「誉れ」の中でも「最も高い誉れ」ということ、なのだろうか。「超誉れってる」ということか。今でもよくわからないけど。

 

 ポートフォリオには、学校で制作した作品の中から特によいものを10~15点ほど入れる。作品集のようなものだ。私は正直、書類を書いたりポートフォリオを提出するのが面倒なのでこの通知をシカトしようと思った。

 

 そんな私を先回りするように、通知にはこうも書き添えられていた。

 

「貴様わかっとるやろな。これは大変名誉なことや。卒業生でも1~2名しかHighest Honorsにはなれへん。申請バックたらシメる。」

 

 けどポートフォリオと申請書類作成の苦労の末、却下されたら全部無駄になるじゃないか。美大での勉強は卒業間際まで体力的にも精神的にもキツいものだった。

 

 慢性的に睡眠不足で体調不良だった私に、睡眠時間を削ってまでよくわからない「超誉れ」を申請する必要ってあるんだろうか。わからなかった。どっちを優先すべきだろうか。

 

 R先生に聞いた。

「Highest Honorsの申請をして、却下されるってこと、ないでしょうか?」

「ないない! 書類とポートフォリオ提出は、ただの形式。この学校の歴史上、申請でReject(却下)された学生はいないから。すでに成績はでてるんから、必ずもらえる。それよりHighest Honorsおめでとう。よろこびなさい、これはとても名誉なことなんだ!」

R先生は笑って私の肩を叩いた。

 

 安心した私は、ならば、と申請書類とポートフォリオを提出した。

 

 

 

 

 「Reject」の通知が届いたのは、数週間後のことだった。

 

 は? ちょっと待て。申請はただの「形式」じゃなかったのか!? 却下されるなんて聞いてない。

 

 もともと欲しいとも思っていなかったはずなのに、却下されたらされたで、なんか腹がたった。がっかりした。悲しかった。

 

 私はHighest Honors審査委員の1人でもあるR先生に再び聞いた。

「なぜ私はRejectされたんでしょうか……」

「……ふつうは、Rejectしないんだよ。委員は誰もRejectしてなかったよ。けど学部長がキミのポートフォリオを見て
『こんなのはグラフィックデザインじゃない! この学生をHighest Honorsで卒業させるわけにはいかない!』

と一人反対してね……いやすまんね」

R先生は私の目を見ず、そそくさと立ち去った。

 

 従って、私は普通のHonors(普通の誉れ)として卒業した。それだけで十分、名誉なことなんだけど、なんだかただのHonorsがもうつまんないものに感じられてしまった。「誉れ」なはずなのに、それすらもなんだかケチがつけられたみたいな。

 

 そんな風に感じる自分にも、嫌気がさした。

 

 卒業式でも胸の中が、ずっとザラザラしてた。

 

 

 Rejectされた後、そのことを知らないY先生に

「おめでとう! Highest Honorsなんだって? すっげえ!」

と声をかけてもらったときもつらかった。

 

「いえ、ポートフォリオrejectされたのでそれはナシになりまして……学部長が反対したらしく」

無の表情で説明した。70代のY先生はみるみる鬼のような顔になった。

「Fuck them! お前、こんな学校の教員の言うこと、真に受けんじゃネエぞ。お前の作品、イイよ! まっじ信じらんねえ! 却下するなんて! おい、落ち込むんじゃねえぞ。あいつらがマジFuck なだけだから!」

 

と、自身の権限で私の作品の一つを学校のギャラリーに展示してくれた(ちなみに校内ギャラリーに展示されることはとても名誉なこととされていた)。

 

 

 

 「作品が全否定される」という経験で、自分でも思った以上に落ち込んだ。Y先生が言うようにべつに落ち込む必要はないと自分でも思った。「誉れ」は「誉れ」なんだし。でもなんかよくわからないけど、気分が沈む。

 

 「学校の歴史上、初の却下! 逆にすごくない? どんだけ嫌われてんの、自分!?」

という思いが何度もよぎる。

 

 もともと鬱だったし親からは虐待を受けていた。親から受け入れてもらえない自分。在学中、愛と情熱を注いだ作品たちも、受け入れてもらえなかった。

 

 

 ここまで来たら、機能不全家庭出身の鬱の人間が考えることなんて決まっている。

 

「生きててすみません。」

 

これだ。

 

 「ここまでトコトン、全てが受け入れられない。自分なんか、死んだ方がいいんじゃないだろうか? 」

そりゃそうだ。

「うん、死のう。そうすれば、今後誰にも迷惑かけないで済む。誰にも嫌われなくて済む。」

これ以外ない。うん、ソダね、首に縄でもかける? それとも飛び降りよっか?

 

 (ちなみに三浦春馬さんがいなくなったの、私なんかが言うのはおこがましいけど、気持ち、わかる気がする。)

 

 

 

 それから長い長い長ーーーーーーーい時間、考えた。

 

 自分の表現したいものを反映した作品なんか、一切作らなくなった。文章だろうと絵だろうと音楽だろうとデザインだろうと、どんな形であれ。ここまで長く「表現」ってことをしない期間は初めてだった。

 

 もう一生、なにも作らないだろうと思った。自分の中にあるものを表現するのは、終わったんだ、と。

 

 

 

 

 

 

 なんでこうなったのか自分でもわからない。けど、最近、とても幸運なことに、自分を表現するナニカシラを作る、そういうことが、ちょっとずつでしかないんだけど、できるようになった。

 

 ほんのちょっぴりでしかないけど。

 

 それは文章だったり漫画だったりする。

 

 なが~いブランクを経て、また「作品」的なものを作ることができるようになったのって、自分の中で

「誰にも認められなくても、いいですよ」

と自分で自分を許せるようになったからだと思う。

 

 だから、自分にとっては

「なるべく多くの人に見てもらうかどうかはそんなに大事じゃなくて、本当に必要としてくれる人に届けばそれでいいんです」

っていうスタンス、絶対必要なんだよなー。

 

 これがいいとは全然思ってないんだけど。できれば、もっと、普通になりたいんだけど。

 

 このせいでいつもいつも私は周りの方々の気分を害してしまう。嫌われてしまう。迷惑かけてしまう。

 

 本当に私は進歩がないんです。生きててごめんなさい。

 

 あそこでRejectを出した学部長、アナタは正しかった!