三浦春馬さんが自殺した。
生物学上の父母や母親の再婚相手にお金を無心されていたとネットで読んだ。真偽のほどはしらない。けどその前提で自殺の件を考えるとわかりみが深すぎて辛い。
自分より若い人が死んだと聞くのは辛い。私にも常に希死念慮があるから。今でも私なんかがノコノコ生きてんのは、ただの偶然だ。誰かの自殺報道を耳にするとどうしても自分に重ねてしまう。
ちょっと前に某所であるアーティストさん(仮にOちゃんとする)のテレビ出演を祝う会を催した。
Oちゃんは一時独特なライフスタイルを送り、活動を休止していた。2011年頃に活動を復活、今回のNHK音楽番組への出演は復帰後初という記念すべきオケイジョンだったのだ。
放送開始前、両手をぎゅっとこぶしに握りしめ、テレビを凝視した。自分が出演するわけでもないのにすごく緊張した。
モニター越しに歌うOちゃんは、光に包まれて神々しかった。和やかな表情。にこにこ笑う彼はもう、2011年の復活直後とは別人だった。
完全なる錯覚でしかないんだけど、まるで天国の情景を見ているようだった。白いお花が咲き乱れてあんなにも光が溢れている。暗い部屋にいる状態で明るいモニター越しに見たからかもしれない。
そんなふうに美しいOちゃんの姿を見ていたら、この10年で自分に起こったことが、走馬灯のように頭を駆け巡り始めた。
そして、私は、混乱した。私はなぜ、ここにいるのだろう。私は本当に今も生きているんだろうか? 今は2020年? これはマコトか?
2011年ごろの自分はあと3年以内には死んでそうな人ランキング1位だった。なのにまだここにいて、Oちゃんテレビ出演記念の会を催せるまで元気になっている。こんな日が来るなんて。
本当は私が死後の世界にいて、モニター越しに地上で歌うOちゃんを見ているんじゃないかしら。
テレビ映像は、美しい現実。自分の人生は、悪い夢。
私なんかが生き残って、素晴らしい若い人たちが次々死んでいるなんて、間違ってる。偶然にしても残酷すぎないか、神は?
番組が終わって、喋ろうとしても出てくるのは嗚咽と涙だけだった。普段人前で泣くことなんてないから焦った。
「Oちゃん、復活してよかったですねえ」
取り乱す私を会場の人がフォローしてくれた。復活だけが理由じゃない。けど、自分でもなんで泣いてるのかわからん。説明なんてできるわけもなく、ただ頷いた。