第3話
まだまだ女性がアサーティブネスを発揮すると嫌われる社会。
つづく!
第3話
まだまだ女性がアサーティブネスを発揮すると嫌われる社会。
つづく!
第二話
見て見ぬふりをしている社員さんたちがある意味一番怖い。
この環境から抜け出すために転職した主人公。
つづく!
お腹空いた~。月末はお金が足りなくてお腹が空く。誤魔化すために寝たら夢でも「お腹空いた!」とキレていて逆に気分が悪くなった。
うちに非常食はほとんどない。なぜなら月末で生活費が苦しいときが多々あり、その都度私が食べてしまうからです。
しかし、例えば今日、非常食を食べてしのいだとしても今月はまだあと2日ある。だったら絶食して我慢したほうがいいような気がする。
完全な愚痴ですが、毎月毎月お金の心配をするのに疲れる。いつもその月の10日あたりから
「今月もお金、足りるだろうか」
と心配し始める。
「今月お金足りたかどうか」を測るバロメーターは、その月の最終週にある。
説明しよう。
私は週の始めにその週の食料を買いに行く。だからその月の最終週の始めに3000円くらい口座に残っていれば、食料アリの状態で月を越せる。
今月(2019年9月)は5週ある。4週目の段階で1000円くらいしか残高がなかった。貯めていたスーパーのポイントを500円分つかい(スーパーのポイントはこういう時すごく助かる)食料を1500円分買った。その食料は28日現在、ほぼ喰らいつくしてしまっている。
冷蔵庫には今じゃがいも数個と玉ねぎがある。あなたは思うかもしれない。
「それを喰えばいいじゃないか」
と。
しかし、私はもう疲れたのだ。不安でいることに。
今日このじゃがいもを食べたら、明日このじゃがいもはない。今日以上の不安に、明日の私はとらわれるだろう。明日その不安を感じるくらいなら、今日食べずに空腹で過ごす方がよい気がする。
よい気はするが、空腹は空腹だ。お腹空いた。
このエントリで書いた個人型確定拠出年金に年金の移換ができました。そのことについては(今日はお腹が空いて無理なので)後日書きます。
前回、よくわからないままにネット証券会社、カブドットコムの口座を開設した大和。
6月頭にカブドットコムで証券口座を開設し、なんとか数千円を入金したまでがこちらのお話し。
こちらのエントリーで、大和はさらにぺージをあちこあち彷徨い、直近の6月14に『世界経済インデックスファンド』を買えるよう設定した。
大和「ほんとうは口座開設した日に『世界経済インデックスファンド(三井住友トラスト・アセットマネジメント)』を1000円分買いたかったんだけど、営業日を5日挟まない買い注文が入らない仕組みなんだよね!」
A「けっこう時間がいるんやな」
大和「けどこの仕組みに助けられました。じつは私、操作を間違ってて『世界経済インデックスファンド』じゃない投資信託を買ってたんだよね! 気づいて修正したけど。だから猶予があって助かった」
A「うわ、そのまま買い注文が入ってたらと思うと怖い!」
7月頭の現時点で約2週間、投資信託を育てたことになる。さて、どうなったでしょうか。
大和「Aちゃん!大変だよ!!」
久しぶりにカブドットコムのマイページにログインした大和は小さく叫んだ。
Aちゃん「なんや~」
大和「増えてる! 1000円買ったやつが、21円、増えてる!」
わずかな額ではあるが、この21円は、気持ちのうえで大和に大きな変化をもたらした。
例えば電車を降りて自動改札を通ったとき、大和は悲しみにくれる。
(また100円ほどお金を使ってしまった)
収入が増えない中、ため息をつきながらお金が減っていく一方なことに絶望し、5回くらいため息をつく。
だが21円増えていたと知ってからは、電車を降りて自動改札を通っても絶望の暗闇の中にちっちゃな光が見える。今まで5回だったため息が、3回くらいに減った気がするのだ。
さらに、節約にも身が入るようになった。今までは
(お金がなくなったらホームレスになる)
(節約しないと月末なにも食べられない)
といった恐怖に追い立てられて節約していた。
だが今は、節約したお金を証券口座に移したい! というポジティブなモチベーションがある。節約が辛いのは同じでも
「投資信託を買ってそれが育つのを見たい」
というわくわくが辛さをちょっと上回るのだ。
「今は月1000円だけど、今後、月2000円ずつ積み立てるのを目標にしよう」
大和は思った。
Lorraine CormierによるPixabayからの画像
「子どものころ親に不当に扱われた」エピソードを話すと、相手からはこのようなレスポンスが返ってきます。
「親は何故あなたにそんなことをしたの!?」
それに対して私は答えることはできません。ぽかーんとこう思うだけです。
「知らんがな。虐待したのは私じゃないも~ん」
世間の興味は被害者のケアや治療に対してではなく「なぜ加害者は加害したのか!?」ということにまず向くようだ。
ということを、私の狭い経験からではありますが、体感しています。
レイプや痴漢に遭った人が被害をおおやけにすると、世間は被害者に対して「ナゼ強姦された!?」「ナゼ痴漢された!?」と思い、「エロい服着てたから被害に遭ったのだろう」「夜おそく出歩いていたからだ」と独自の理由をこじつける傾向があると聞きます。
虐待の被害者に対しても同じような心理が働くのでしょうか?
となれば、そろそろ私も加害者の心理についてそれっぽく語れるようになっておいたほうがいいのかもしれない。そう思い、聖典にあたることにしました。
『毒になる親 一生苦しむ子供(講談社)』 by スーザン・フォワードです
この本はとてもよいので皆さん読んでください。
本書にはこうありました。
比較的安定している家庭においては、親はそのような親子関係の変化が作り出す心配事にもたいていは耐えることができ、子供の離反や頭をもたげる独立心を、積極的に後押しはしないまでも黙認しようと努力することはできる。比較的理解のある親なら、自分の若かったころを思い出して「まあ、いまはそういう時期だから」といって見守ってやることができるのである。そういう親は、子供の反抗や離反は情緒の正常な発達のためのプロセスであることがわかっている。
ところが、心の不健康な親は、そのような理解を示すことができない。幼児期から思春期に至るまで、あるいは成人していればなおのこと、子供の離反はおろか自分と考えが違うことすら自分に対する個人的な攻撃と受け止めてしまう。そういう親は、子供の「非力さ」と親に対する「依存度」を大きくさせることによって自分の立場を守ろうとする。子供の健康的な精神の発達を助けるのではなく、それと反対に無意識のうちにそれをつぶそうとするのである。しかも困ったことに、しばしば本人は子供のためを思ってそうしているのだと考えていることが多い。このような親のネガティブな反応は子供の自負心を深く傷つけ、開きかけている独立心の目を摘み取ってしまう。
親の方ではいくら正しいと思っていても、子供にとって親から受けるこのような攻撃は理解できないものである。親の示す敵愾心や態度の激しさ、反応の唐突さなどのため、子供は当惑するばかりだ。
※アンダーラインは筆者による
上記から収集できた情報をまとめます。
加害する親は:
いかがでしょうか。
「親は何故あなたにそんなことをしたの!?」
あるいは
「親は何故私にそんなことをしたの!?」
という永遠に答えの出ない疑問に対するヒントを微量ながら感じていただければ幸いです。もっとたくさんのヒントは、各自本書を読んで感じてください。
10年経っても毒親の言葉に支配されつづける人のことを創作しました。
ベッドに潜り込んだA子に眠りは訪れそうになかった。
その日、つきあって2年になる恋人に言われた。
「今度、うちの両親と食事に行こうよ」
目をつぶって恋人の言葉を反芻するにつけ、A子が思うことはひとつだった。
(イライラする……!)
なぜだろう?A子は自分の感情を不思議に思った。
恋人のことは大好きなのに、なぜ。
ある声が耳の中でリフレインした。
「ーー嫌だな、ってーーA子みたいーー似てるーー」
その声を認識した瞬間、A子は発作的に枕を数発殴った。無印良品の枕は手ごたえもなく、殴り甲斐がない。
恋人の言葉を聞いてからというもの、この『声』が通奏低音のようにA子の心で鳴り響いている。合点がいった。
(ああそうか。私がイラついていたのは恋人の言葉じゃなく、この『声』に対してなんだ)
10年前、A子の弟、Bが20代前半で結婚した。現代の基準では比較的早い年齢における結婚であり、友人たちには「Bくん、できちゃった婚?」と聞かれたものだ。
(が、それはどうでもいいんだ……。弟がいくつで結婚しようと、どうでも……。2人が幸せなら。)
A子は思う。
そう、結婚じたいはどうでもいい。A子が気にしているのは、弟の結婚前に行われた両家顔合わせの食事会のときに発された、母の言葉である。
10年たってもA子の心に消えずにくすぶり続けている件の『声』。
10年前、とあるレストラン
その日の食事会はとあるレストランで行われた。メンバーはBのフィアンセのご両親とお姉さん、B、A子とA子の両親だ。
母はA子だけに聞こえるように耳元で小声で言った。
「あの人が"かのじょ"かと思って、嫌だったのよ。あの人スラっとしてて、A子みたいな雰囲気だったから。大学出てから海外で仕事してたんですって。けどあの人"かのじょ”のお姉さんだった、よかった。」
今思い返すだに、クッソムカつく。
A子は寝返りを打った。
そのときなにも言い返さなかったことが、10年たっても悔やまれる。けど、めでたい食事の席で騒動を起こすのは嫌だった。A子には、母の言葉を無視して平然を装う以外選択肢はなかったのだ。
恋人のご両親に初めて会うかもしれない、という局面になりA子は認めるしかなかった。10年前のあのくだらない言葉に自分がいかに支配されているかということに!
(恋人の両親に会ったら、『A子さんみたいな人、嫌だわ』って思われるんだ、きっと……)
ある瞬間、そう思う。しかし次の瞬間、思い直す。
(いや、いやいや。母親の呪いに負けてはならない……自分に自信をもつのよA子)
心の中の天使と悪魔が争ってるみたいだ。じっさいには「呪い」と「理性」が戦っているのかもしれないけど。母のつまらない言葉ひとつを長年、ひきずっていることが情けない。
(むきーー!)
ベッドの中、A子は歯ぎしりするしかなかった。