私が育った家庭は
夫婦間・親子間の精神的暴力や肉体的暴力や
モラルハラスメントが多くあり
地域とのつながりがうすい密閉空間でした。
自分の育った家庭は、機能不全家庭であることは確かだと思うが
虐待?DV?毒親?AC?
そういうことがあてはまるかどうかは
未だに、私にはわからない。
家族が人と人とをつなぐちいさなコミュニティだとすれば
私の実家はそーゆー機能は果たしてなかった。
だから「機能不全家庭」であろうということは自信をもっていえる。
けど他の用語「虐待」?「DV」?「毒親」?
これらの言葉は、便利だから私も使うことは多々あるんだけど
それが自分に当てはまるのかどうかは
ピンときていない。
10年近く通ったカウンセラーさんに、
通って8年目くらいで「かなりの虐待だったと思いますよ」
と断言していただたけど、
それでもピンとこない。
親からの電話は着信拒否にし、住所も数回変え、
電話・郵便・メールでの連絡もせず
一度も顔も合わせなくなって10年も経つし
私はもう40歳なのに。*1
親と縁を切っている、
そのことに一切の迷いも後悔も頭の中にない。
むしろ、善戦しているほうじゃないかと思う
(自画自賛)。
けれど、罪悪感と劣等感がこころの中にある。
自分の頭の中には、そんなものはない。
けれど、こころの中には確実に、ある。
私が苦しいのはそのせいだと思う。
一生、こうなのかしら?
私以外でも親と縁を切った人は、
誰しもずーっとこういう心の葛藤を抱え続けるのかしら?
けどなあ。
自戒を込めて言うんだが、
こういうこころの状態って、とても危険だよなあ。
心の罪悪感と劣等感から、
『親』にかわる絶対的な存在(物理的にも価値観的にも)を
無意識に求めている自分がいることに気づいて
ショックを受けることがよくある。
「ACの人は親から存在の全て受け入れてもらったことがない。
だから大人になって、自分の存在のすべてを受け入れてくれそうな
人を探すけど、そんな人はこの世にいない。
大人が大人に自分の存在をすべて受け入れてもらおうとするのは間違いです」
というようなことが斎藤 学さんの本に書いてあった
(大意)。
私なんかもう40のばあさんだけどさ。
そして、頭ではそれは間違いだと分かっているけどさ、
自分の存在すべて受け入れてもらえたら、
生きるのがどんなにラクになることでしょう……💖💖
っていう甘えはこころの中にどーしてもあるよね。
やすきに流されそうになっている自分のこころ。
弱い、弱い!こころ!(←こころを叱責している)
☆ ☆ ☆
つづく
*1:けど10代の頃より20代、20代の頃よりは30代、30代の頃よりは今のほうが精神的にはラクになってきているので、若い人は絶望しないでください