あらすじ
作業所Aに通って作業をしようと考えた大和。「障害福祉課に行って受給者証をもらえ」と言われる。そうしたら、今度は「別の事業所Bに行って利用計画を立ててもらえ」と言われフンガイしていたが……!?
なめてんのか。
という思いをこらえ、事業所Bに電話をかけてアポをとろうとしても、数日たたないと新規案件を受け付けられるかわからない、という。
障害福祉課に行った段階で、事業所Bも同席していて「利用計画」を立てればいいじゃあないか?
と思ったのですが、そうはいかないようです。
数日後、事業所Bから電話があり私の利用計画を立てていただきあそばされてくださりますとのことでございましたので大変ありがたく感謝お伝え申し上げました(←※皮肉を込めています)。
これで私の作業所Aの利用が叶いました……
であったら、まだよかった(2回目)。ここでなんと新事実発覚。今度は事業所Cに赴き、私の「生活上の課題」をヒアリングして「いただく」必要があるらしい。
私は作業所Aに通おうと思っただけなのに、なんでBやらCやらが出てくるのでしょうか。障害福祉課に行って申し込んで利用開始とならない、その理由が「計画」を立てたり「課題」を見つけたり、と本人がとっくにやって対策を日々おこなって何年も治療をして向き合ってきたことを突然降ってわいて出た人たちが行って「あげますよ」、という笑止千万、失礼この↑ない、謎な制度すぎ。
利用する立場としては、大変迷惑、と言わざるをえません。
BとCが絡んでくる結果、私の受給者証発給は、作業所Aに説明を聞きに行って障害福祉課に行ってから約2か月後になるらしいです。年が明けます。
社会福祉は、良いことだと思います。社会の善意の象徴のような制度だと思います。けれど今回の一連で分かったのが
「こっちにも金まわせよ」
とばかりに間に入ってきて話をとめる奴、多すぎ......という点。ここに社会の悪意を感じてしまいます。
私の「利用計画」や「課題」を見つけるという名目で間に入ったBやCにそれぞれいくらお金が出るのでしょうか。その分のお金、私にくれ。
......とはいわない。くれなくてもいいから、BとCを抜きにしてもっと早く話がすすめばいいのになあ。そして、浮いたお金をもっと社会保障にまわせればいいのにな、とは思います。
福祉とは、善意の場所でもあるけど魑魅魍魎がはびこりやすい場所でもあるんだなと思いました。いろんな要素をぎゅっと煮詰めた社会の縮図、それが福祉。てっとり早く社会に揉まれたければ福祉に触れてみるといいよ、ってことかもしれません。
煮詰めすぎたものを摂取するのは体質には合わないみたいで、私個人としては今、残念ながら食あたりを起こしておりますが(笑)。