この12年の記憶がない 今後どうやって生きたらいいのか分からない絶望 文章を書くことが生存戦略

私は「解離性障害」と診断されています。
自分のそんな解離状態が今まで考えていたより酷かったことが最近わかり、絶望しています。


この12年の記憶がない

最近気づいたのですが、実はこの12年、私はずっと解離状態でした*1
前回のブログはそのことを書いています。

本当のことを言うと、私にはこのブログを開設した記憶さえありません。
このブログの過去記事に何を書いたか、ひとつも覚えていません。
もっと言うと『失職女子。』に何を書いたかも覚えていません。

文章に書いた内容以外でも、この12年で起こったことは、記憶があることより、ないことの方が多いです。


絶望

私はこの12年、周りの人たちやこのブログを読んでくれている人たちを騙していたようなものです。
実際の私は毎日過去の虐待のフラッシュバックが起き、パニック発作に苦しみ、解離もしています。

けれど自分のそんな部分はあまり表に出せませんでした。
フラッシュバックやパニック発作が起こっても、起こったそばから記憶が消えていくからです。
記憶がないせいで、苦しみがないように振舞ってしまっていました。

そうやってなんとか人としての外観を保とうとしていた。
そのことにさえ気づいてませんでした。
そのことに絶望しています。

 

ここはサブ人格が開設したブログ

解離中は私の人格全部が覚醒しているわけではありません。
人格の一部だけでものごとを進めているようなかんじです。
このブログは本体の私が寝ている間にサブの人格が開設してくれたようなものです。

長い夢から覚めた気持ち

今、私は解離状態から抜けたわけではないのですが
「自分が解離している」
ということに前よりは気づけるようになりました。

長い夢から少しだけ覚めたような気持ちです。
だけど、だからこそ、同時に、絶望が大きいです。

 

解離とは

解離は子供の頃の虐待が原因です。

子供ながらに
「あ、これで自分は死ぬんだな」
と思ったことが何度もありました。

「死ぬほど嫌なこと」
が沢山ありました。

そのような臨死体験を日常的にしていたせいで、私は常に解離するようになりました。

解離とは簡単に言うと記憶喪失のようなものです。
「死ぬほど嫌なこと」の間の記憶を消すことによってなんとか生きていました。

子供の頃のことです。
意識的にそんな芸当はできません。
自動的に脳がそのような状態になりました。
脳が自ら壊れた訳です。
生き延びるために必要でした。

 

解離のメリット

生存戦略として脳が壊れたのは、解離にもメリットがあるからでしょう。
「死ぬほど嫌なこと」ばかりの日々でも解離すれば比較的「普通」の生活が送れます。
学校に通い、卒業し、社会人として仕事をすることもできたのは解離のお蔭です。

解離のデメリット

しかしそんな解離はあくまでも障害なのですから、当然デメリットの方が大きい。
大人になっても脳が壊れたまま。
解離しているせいで、生活に支障が出ています。

生活の支障

これまでは解離していることすらよくわかっておらず(記憶がないのでわかりようがない)そのおかげでなんとか生きていました。

けれど気づいてしまった以上、こんなに解離が酷い状態でどうやって今後仕事をしたり人と接すればいいのか、さっぱりわからなくなっています。

 

文章を書くことが生存戦略

こんな中、ひとつ気づいたことがあります。
解離以上に、私にとっては「書く」ことが生存戦略だったんだな、ということ。

私は5~6歳の頃から日記を書いています。
大人になった今も常にノートを持ち歩き、書いています。

上記にこの12年の記憶がほとんどないと書きましたが、うっすらと記憶が残っている部分もあるんですね。
文章を書いてそれを読み返すという作業をした事柄については少し覚えています。

それがなかったら今以上に記憶のない空白だけの人間だったはずです。

 

書いた文章を読んでくださる方々には感謝が大きいからこそ、前回のブログに書いたように
「騙しているようで苦しい」
という感情が芽生えるのかもしれません。

 

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*1:実際にはものごころつく前から解離しているので、12年以上前からずっと解離状態が続いている。