散歩に出かけようと思い玄関にいた私のところへ、母がニコニコと近づいてきて、耳元で、こう囁いた。
「この家族で、お父さんも、お母さんも、弟くんも、みーんな普通なのに。
歯グキちゃんだけ、性格が歪んでる。
心が腐ってるのは、あんただけなのよ。」
母は、ニヤニヤと笑い、とっておきの秘密を教えてあげたのよ、とでも言いたげだった。
なぜ唐突にそんなこと言われたのか、よく分からないまま、家をでた。
私は嫌なことがあると、意識を解離させる癖がある。
その時も、意識が解離した状態で、気がつくと、川べりにいた。
真冬の川は、どんよりとしていて、いかにも冷たそうだった。
テトラポッドにぼちゃぼちゃとあたる水の音を聞きながら、考えた。
そうか。私は、性格が、腐ってて、心が、えっと、なんだっけ……?
思い当たるふしならいくらでもあった。
確かに、私の性格は腐っている。
お父さんのことも、お母さんのことも、好きになれない。
なんなら、嫌っている。
けれど、それは私の秘密だった。
誰にも言ったことなかったし、文章にもしたことがなかった。
だって、私は父親の稼いだ金で、学校に通って、生活している。
私の生命は、父親の金によって、維持されている。
そんな状態なのに、両親のことが嫌いだなんて思う自分が、許せなかった。
だから、私は「両親が嫌い」という感情を、箱にいれて鍵をかけ、心の奥底に沈めた。
けれどその箱は性能が悪くて、中に入った毒素がもれてくるから、
私の目つきや態度にも、「あんたたちが嫌い」という感情がもれているに違いない。
だったら、もう死んだほうがいいよ。
目の前にある川に飛び込んじゃえばいい。
「いっせーのー……」
と、飛び込む用意をした時だった。
「グワッグワッグワッ!(お、にんげんだにんげんだ!)」
「グワーッグワグワ(えさくれよ、えさえさ!)」
「グッグッグッグワッ(なーなー、えさは?えさ?)」
タイミング悪く、カモが数羽、ぽちゃぽちゃと近づき、しきりにエサを要求するのであった。
手ぶらだったので、残念ながら、私は、カモたちの期待には応えられなかった。
飛び込みたかったけど、ざぶーんと行ったところに
「グワーッ!(ぎゃーっ、なんだこいつ!)」
「ギェ!バサバサ(と、飛び込みやがったー!!」
「バタバタバタ!(やべーよ、どーすんだよ!)」
と、カモたちに迷惑かけそうだったので、入水自殺は取りやめた。
翌日、生家から盗み出したパンを持って川に再び行ったのに、もうそこには、カモたちはいなかったのであった。