両親相手のパパ活・ママ活

 この葛藤は未だに上手く言語化できないけど取り敢えず。

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 1.

  私は産まれた瞬間からパパ活・ママ活をして生き延びたようなものだ。

  パパ活・ママ活では相手の承認欲求を満たしてやることでお金を稼ぐ。

  ものすごく簡単にいえば「愛」がお金に換算される世界。

  それが嘘の「愛」かどうかなど関係ない。クライアントがそれっぽい気分になるかどうかが重要だ。

  私にとっては生物学上の両親がクライアント。彼らに嘘の「愛」を差し出すことが私の仕事。

  子供ころは暴力を振るわれ、暴言を吐かれる度に泣いた。涙を流す私に彼女はこう言った

「アンタに文句なんか言う権利はない。ママはあんたの『パトロン』なんだから」

2.

  家出より私は目標達成を選んだ。大学の卒業だ。

(もう泣かない。家庭内では徹底してパパ活・ママ活の演技をし、大学まで金を引いたら縁を切る)

  そう割り切った15歳のときから私は毎日、意識的に嘘をついた。

「ありがとう・ごめんなさい・いただきます・ごちそうさま」

 家庭内で私の口から発される言葉は全て、お金を稼ぐための嘘だった。

「この人たちがわたしのおとうさんおかあさんです。これがわたしの家族です」

世間にも嘘をついた。

  そうやって稼いだお金は、だが、私の自由になるものではなかった。金は家賃や生活費、学費、私を育てる手間賃などで瞬時に消えてゆくのだから。「パトロン」はそう説明した。

  生物学上の母でもあるママは、貴族でもないくせに何故か「パトロン」という自称を好んだ。

  その言葉を聞くたびに、私の魂は削れていった。

   愚かな「パトロン」にとって嘘の「愛」は麻薬だ。耐性がつき、どんどん満足できなくなってゆく。  

  「パトロン」はやがて嘘の愛と共に魂の一部も差し出さない限り金を払わなくなった。

3.

  そこからはぐちゃぐちゃだった。割り切った「パパ活・ママ活」演技だけでは済まない。自分の仕事はその場シノギの最底辺の「売女」、自分の両親は「女衒」だと考えを進化させないといけなかった。

  プロのセックスワーカーは技術と誇りで稼ぐが、私は違う。

  誇りなどあるわけがない。

  公私ともに嘘をついてお金を得る生き方は、自尊心の前借りなのかもしれない。

  だからといって、子供だった私に何ができただろう? 

  大学までお金を出させたから上手いことやった? 

  だがそれとて幸せへの道ではない。どの道であっても命懸けの賭けには変わりない。

  私は今、自分にとってマシな地獄に辿り着けたのだろうか? 答え合わせは永遠にできない。そもそも正解がない。

  現に今、命があるのは私が優秀な売女だったからでも「パトロン」がマシだったからでもなく、運の要素が強かったと思う。

4.

  今、私の朝にはアラーム代わりの優しいクラシックラジオが流れ

モーツァルトの『パトロン』であるヴァルトシュテッテン男爵夫人は……」

なんてナレーションを耳にすればそこで一日が終る。フラッシュバックの発作で息もできない。今、死ぬんだ。そう確信する。

  私は現在ツケを回収されているのかもしれない。

 

  「パトロン」と「言霊」

  私の嫌いな言葉たちです。These are the few of my least favorite words.