「共助」は美しくも危険な夢……なのか?

 目が覚めて思う

「起きる意味がなにもない」
と。

 現在学校もなく仕事もなく家族もなく、世間の人たちを納得させられる資産も何一つ持っていない。

 私にある資産はさしずめ寿命である。ただし残念ながら健康はない。

 

「こんなバイトしようかと思うんですよぉ」

と主治医に言うと
「ありえない!!」

と怒りをかう。そんな健康状態である。

 

 働ける程度の健康を持たないものにとって寿命とは果てしない時間の牢獄と同じ。いつ尽きるともしれぬ無為な時間をただぼんやりと過ごす。たまに楽しいときもある。べつになにも辛くはない。だけど常に恐怖と不安、そしておおきなおおきな孤独を感じている。

 

 この国は「自助、共助、公助」が推奨されると聞く。自助と公助に関しては、私自身が努力すれば恩恵にあずかれる。問題が共助だ。

 

 私は長年カウンセリングに*自費*1*で通い「生きるよすが」みたいなものを掴もうと試みてきた(これぞ自助だ)。そのプロセスの中で

「人は変えられない」

という事実を肝に銘じるのは、生きるうえでとても重要だとわかった。

 

 その学びを得た理性が「共助」には限界があると私の耳元でささやく。

 

 今日(こんにち)、私は「自助」と「公助」を限界までやりくりまわしてなんとか生きている。しかし実情はただ時間を浪費するだけの哀しみに満ちた日々である。

 

 そんな現状で、恐らく「隣の芝生は青い」現象だろう、とても魅力的に映るのだ「共助」というものが。この心情は、結婚がゴールかつハッピーエンドな漫画を読んだ後やカップYouTubeを見たあとに湧き上がってくる。ゆえに、この心情はうさんくさいもののような気がしてならないのだが。

 

 私の人生は
「人から与えられる安心感や愛」

「社会に規定される人並みの幸せ」

に乏しい。

 

 自分は経験したことないから憧れはいや増す。きっと死ぬまでそうだろう。私にとっては夢でしかない。だからものすごく美しい夢を描いてしまう。

 

 きっと私以外の人たちは「共助」によって生きる意味をみつけ、充実した人生を歩んでいるに違いない。その人たちの人生は、ピンク色の雲のうえで宮殿に住んでるような生活。お腹もすかないし病気も暴力もない。毎日が笑いに満ちていて、住人たちはお互いに助け合う優しい生活を送っている。ああ、私なんぞの無駄な寿命なんか、そんな人たちに譲れればいいのに!!

 

 なんて思ってしまうから夢は美しいだけに危険もはらんでいると思われるが、いかんせん、経験したことがないのでなんともいえない。

*1:保険が適用されませんからね

父親相手のパパ活と共依存

  パパ活・ママ活状態から抜け出したかった私は15の頃に「就職したら親と縁を切ればいい」と考えはしたが、それはあくまでも心の拠り所だった。縁を切らずに済むならそれに越したことはない。
 先生たちは大卒資格があれば高卒より良い条件で就職できると言っていた。就職すると引っ越し手当が出たり独身寮というところに住める場合もあるらしい。恭順の意を示しまじめに働きけばお給料は徐々に上がっていき、ボーナスが年に2回出る。会社を首になることはほぼないのだとか。それが私が15歳のころの日本の常識で、とにかく大学卒業までこぎつければあとは経済的に自立できるはず。そう信じていた。

 皮肉にも「縁切り」の必要性をより強く感じたのは社会人になった頃からだ。

  15歳の頃、自分を鼓舞するために唱えたおまじないを本当に実行する日が来た背景に社会の変化が大きく関係したのは間違いない。

 大学卒業後、日本は就職氷河期真っ只中。私は1年更新の契約社員。給料は手取り17万で上がることはない。ボーナス・住宅手当・引っ越し手当いずれもなし。独身寮は正社員のみ入居が許される。

 会社に女性の管理職はいなかった。というか、女性の正社員が2-3人しかいない。ちらほらいる他の女性は私のように非正規で働く人たちだった。職場に女性が少なく、にオープンリーLGBT+の人に至っては1人もいない風景は私には歪んで見えた。

 大学を出ても正社員になれず、給料もこんなに安いのかとがっかりしたし、日本ではLGBT+という言葉さえその頃まだ普及していない事実に驚いた。雇用機会均等法はどこに行ったのだろう? 大人になるころには職場の男女比率が5:5になると思い込んでいた私に現実はなかなか呑み込めないものだった。

 帰国したばかりで日本での足場がない私はとりあえず実家に身を寄せ、北関東から東京に通勤していた。

  入社3日目くらいだったろうか。父が勤務先から奇妙なメールを送ってきた。

  自社の新製品を紹介するプレスリリースと父からの私信がごちゃまぜにコラージュされたような文面。統一されていない文体や意味の分からなさには、怪文書のような気味の悪さがあった。

 一旦そのメールは無視して自分が本来やるべき仕事に集中した。帰宅すると

「メールは見たのか、なぜ返事を送らない」

父から叱責された。

  よくよく事情を聞くと要は

「ウチの新製品をお前の会社に売り込め」

ということらしい。呆れた。

   そんなことはできないと断ると父は私を罵った。

「お前は馬鹿だから分かっていない。上司にちょっと言うだけでいいんだ。そのくらいしたっていいだろう。お前のためにもなる」

 他社の製品を売り込んで評価が上がる契約社員がどこにいるというのか。 

  彼の狂った頭の中の世界において、私は意のままに動かせる駒の一つにすぎないのだろう。服従しなければ頬を2-3往復ビンタしてやれば従順に動く。

  父は共感性が皆無、狂暴で狂っているにも関わらず(あるいはそうだからこそ)社会では順当に出世していた。「子持ち」というステータスも父の色んな瑕疵の隠れ蓑として便利だったに違いない。   

  狂人の子どもとして様々な被害を被っていた私は、父との関係を「パパ活」と割り切っていたからこそ正気を保てた。その反面、私の「パパ活」は彼をますます増長させる一因になったのかもしれない。

  だがそのお陰で彼が出世し莫大な収入を得ていなかったら私の「パパ活」は必然的に終わったはずで……

  卵が先か鶏が先か?  考えれば考えるほどごちゃごちゃになる。親子でのパパ活・ママ活と共依存紙一重なのだろう。

  ともかく学費という大金を引く必要がなくなった以上、これ以上尊厳と引き換えに父の犬になるつもりはなかった。

   父の会社の売り込みは、直接何度も断った。自身の社内での立場や仕事のフローも説明した。常識的になぜそれが無理なことなのか、そこから説明しないといけなかった。だが父は理解しない。

  すでに私は「狂人の子供」という立場を放棄していた。それを父はどうしても理解できないようだった。

  それも当然だった。父は自分が狂っているなどとは露程も気づいていないのだから。重篤な病人ほど病識がないものだから。

「この人たちと関わり続けると私の周りにも迷惑がかかり、大切な人たちにも嫌な思いをさせたうえ、私も社会的に死ぬだろう」

いよいよ確信した。

  お金さえ稼げれば「パパ活」を終えられると思った私が甘かった。仕事なんかより、両親からの毒が仕事先まで及ばないようにしつつ、自身も邪気を喰らわないようにするほうがよほど大変だった。

  (就職してお金を家に入れるようになっても両親がまだ私の「パトロン」気取りなのは私が実家に身を寄せる「借り」状態にあるからだろう……)

  実際にはそう単純ではないのだが、まだ若かった私は愚直にそう考えた。

 せっかくつかんだ社会への道を台無しにされる前に早く実家を出るべきだ。そのためにも早くお金を貯めたい。

  手取り17万のうち、8万を家賃電気水道光熱費として毎月両親に支払っていた。母に要求されたままの額だった。それが高いのか相場通りの額なのか、私には分からなかった。

  家で食べるのは耐えられないから食費も自分で賄っていた。

  東京への引っ越し費用を貯めるのに何カ月かかるだろうか。

  さらには一旦引っ越せたとしても手取り17万で東京でやっていけるのだろうか。

 日本の実家に戻った私は、社会から孤立していた。友人や知人がおらず、相談できる人がいないことも相まり、身動きが取り辛い。

 消化しきれないストレスや疲労は心と体にじわじわと効く毒のようだった。病院代・薬代がかさみ始めたのもこのころからだ。

   結局、全ての鍵になるのはお金なのは変わらずで、私は依然として全てが金に換算される世界に生きていた。

  ストレス由来の病気でくたばるか、引っ越して逃げ切れるか、お金が尽きるか。私のチキンレースが始まった。

両親相手のパパ活・ママ活

 この葛藤は未だに上手く言語化できないけど取り敢えず。

ーーー

 1.

  私は産まれた瞬間からパパ活・ママ活をして生き延びたようなものだ。

  パパ活・ママ活では相手の承認欲求を満たしてやることでお金を稼ぐ。

  ものすごく簡単にいえば「愛」がお金に換算される世界。

  それが嘘の「愛」かどうかなど関係ない。クライアントがそれっぽい気分になるかどうかが重要だ。

  私にとっては生物学上の両親がクライアント。彼らに嘘の「愛」を差し出すことが私の仕事。

  子供ころは暴力を振るわれ、暴言を吐かれる度に泣いた。涙を流す私に彼女はこう言った

「アンタに文句なんか言う権利はない。ママはあんたの『パトロン』なんだから」

2.

  家出より私は目標達成を選んだ。大学の卒業だ。

(もう泣かない。家庭内では徹底してパパ活・ママ活の演技をし、大学まで金を引いたら縁を切る)

  そう割り切った15歳のときから私は毎日、意識的に嘘をついた。

「ありがとう・ごめんなさい・いただきます・ごちそうさま」

 家庭内で私の口から発される言葉は全て、お金を稼ぐための嘘だった。

「この人たちがわたしのおとうさんおかあさんです。これがわたしの家族です」

世間にも嘘をついた。

  そうやって稼いだお金は、だが、私の自由になるものではなかった。金は家賃や生活費、学費、私を育てる手間賃などで瞬時に消えてゆくのだから。「パトロン」はそう説明した。

  生物学上の母でもあるママは、貴族でもないくせに何故か「パトロン」という自称を好んだ。

  その言葉を聞くたびに、私の魂は削れていった。

   愚かな「パトロン」にとって嘘の「愛」は麻薬だ。耐性がつき、どんどん満足できなくなってゆく。  

  「パトロン」はやがて嘘の愛と共に魂の一部も差し出さない限り金を払わなくなった。

3.

  そこからはぐちゃぐちゃだった。割り切った「パパ活・ママ活」演技だけでは済まない。自分の仕事はその場シノギの最底辺の「売女」、自分の両親は「女衒」だと考えを進化させないといけなかった。

  プロのセックスワーカーは技術と誇りで稼ぐが、私は違う。

  誇りなどあるわけがない。

  公私ともに嘘をついてお金を得る生き方は、自尊心の前借りなのかもしれない。

  だからといって、子供だった私に何ができただろう? 

  大学までお金を出させたから上手いことやった? 

  だがそれとて幸せへの道ではない。どの道であっても命懸けの賭けには変わりない。

  私は今、自分にとってマシな地獄に辿り着けたのだろうか? 答え合わせは永遠にできない。そもそも正解がない。

  現に今、命があるのは私が優秀な売女だったからでも「パトロン」がマシだったからでもなく、運の要素が強かったと思う。

4.

  今、私の朝にはアラーム代わりの優しいクラシックラジオが流れ

モーツァルトの『パトロン』であるヴァルトシュテッテン男爵夫人は……」

なんてナレーションを耳にすればそこで一日が終る。フラッシュバックの発作で息もできない。今、死ぬんだ。そう確信する。

  私は現在ツケを回収されているのかもしれない。

 

  「パトロン」と「言霊」

  私の嫌いな言葉たちです。These are the few of my least favorite words.

目が覚めると自分がどこにいるのかわからなくて怯える

目が覚めると自分がどこにいるのかわからなくて怯える。

起きたらベトナムのバンガローにいた。ベランダの端ギリギリに横たわっているから今にも落っこちそうでヒヤヒヤする。

「いつまで寝てるの!!」

もうすぐ近親者が私をベランダからつき落としに来るだろう。どこに逃げよう?

動悸がする。

掃き出し窓の外を流れるメコン川の岸辺におばあちゃんがいた。ラベンダー模様のサマードレスを着ている。風にふかれて気持ちよさそう。あそこに行こうかな?

でもおばあちゃんはこっちを見ないし、そもそも私は動けない。

だからきっとこれは夢。私はここにはいないんだ。

 

目が覚めると病室だった。

なあんだ、こっちが現実か。

光射す窓辺に知らない「おとこのしと(男の人)※*1」が立っていた。慌てて目を閉じる。周りで話し声がするのは同じ病室の人たちだろう。

めんどくさいことに巻き込まれたくない。こういうときはたぬきねいりが一番だ。

運が良ければそのまま本当に眠れちゃうしさ。眠ってれば何が起こってもへっちゃらなんだから。

布団の中に「おとこのしと」がいることに気がついたのは、手のひらに強く押しつけられた舌の感触が気色悪かったから。

とっさに舐められてる右手を引き抜いたけど、ザラリとした生暖かい舌の感触が焼け付いたように手に残っている。

おばあちゃん助けて!

すがるように川の方を向くと初めて目が合った。その目は真っ黒のがらんどうだった。

 

その瞬間世界が腐り始めたんだ。

ドアを開けても、入ってくる虫の大群に邪魔されるから逃げられない。

大人の言う事は全て性的なニュアンスが含まれていることにも気が付き始めた。もう大人の声を聞くだけで吐き気を催す。

 

「あの子もやられたんやって」

「◯◯ちゃんもやで」

「◯◯ちゃんもベッドに入ってパジャマの中触られたんやって」

 

質問したって大人たちは本当のことなんか絶対に教えてくれない。

だから私はたぬきねいりをして、大人たちヒソヒソ声からほんとうのことを知るんだ。

今はトイレに行きたい。トイレがどこにあるのか思い出せない。

目が覚めると自分がどこにいるのかわからなくて怯える。

 

 

*1:※子供の頃「人」を「しと」と発音していたので記憶のままにした

死んでも嫌なこと

【私が一番辛いこと】

貧乏や孤独はたいして辛くない。

本当に辛いのは魂を蹂躙されること。その状況を自覚しているにも関わらず他者に身を任せるしかないこと。

つまり、子供だったときが一番辛かった。

いっそ気づかずに傀儡のまま成長できていたならば、とても幸せな人生が花開いただろうと思う。

 

(噓。思ってない)

 

 

【私が一番恐れていること】

生まれ変わること。

地獄は死んで行く場所じゃない。個人的にはこの世こそが地獄だと思う。

私の地獄は陸上のトラックのような形をしている。ごくごくプライベートな私専用の花園だ。

さて、今までこのトラックを何周しただろう?

どこかにゴールがあるんじゃないかと期待して歩く。けれどそんなものはない。

ゴールが見えないのは自分が愚かなせい。いつも同じところで同じ間違いを繰り返すせいだと薄々気づいてる。

それでも期待してしまうし、期待したぶん、がっかりして終わる。

わかってる。期待した自分が馬鹿だっただけ。だから尚更辛い。

何十年も代わり映えしないコース、もう風景にも飽きてしまった。

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最近、私は焦っている。

そろそろ体力が尽きてきた。もうあと何周も廻れるないだろう。 

今生の間にゴールが見つからないまま死んだら、未練が残って生まれ変わってしまうんじゃないかしら? それが一番怖い。

 

子供からやり直したら【一番辛いこと】から再スタートになってしまう。それだけは死んでも嫌なのだ。

 

 

悪夢

よく見る夢がある。

 

私は近親者二人の後をついて目的地に向かって歩いている。しかし二人の姿はすぐに見えなくなるから泣きたくなる。

 

もう少し歩けばいるのかな、あの角を曲がればいるのかも、と必死に希望をつなぎながら歩くけど彼らはいない。

 

夢のパターンではいつも閑散としたショッピングモールを彷徨う。囚人のようなチェーンと重しが足首に取りつけられているみたいに歩きにくい。

 

都会の高いビルに囲まれた道路もスピーディーに渡れない。車にひかれないよう震えながら歩く。

 

田舎道も歩く。いずれにしても彼らは見えないし目的地からはどんどん遠ざかるばかり。

 

やがて近未来の空港のような見たことないほど大きく荘厳な建物の中にいる。その頃にはもう近親者を探すのはやめた。

 

時速60kmくらいの速さで動く歩道に乗るから今までと違って快適だ。

 

搭乗口にたどり着く。やっと飛行機に乗れる……とほっとした瞬間私を置き去りにした近親者が怒鳴りながら私の行く手を阻む。

 

「裏切り者、お前のせいで家族は滅茶苦茶、お前は普通じゃない」

聞き飽きた暴言に加え暴力も受ける。

 

私は必死に闘う。

「ふざけんなよてめぇらが蒔いた種だろうが!!」

回し蹴りをお見舞いすると足に激痛が走った。

 

暗い部屋に無印良品の棚に食い込んだ白いスネが浮かび上がる。

 

目を開ければそこは私の寝室なのだが数秒間はどこにいるかわからず怯える。寝ながら無理して怒鳴ったせいで喉がガラガラに枯れている。

 

愚かだ。

憐れだ。

愚かだし憐れだ。

ハハッと笑いが漏れる。

 

私のよく見る悪夢はこんなカンジ。These are the few of my favorite nightmares.

ハイター

寝ぼけたままトイレに行ったら排水口のカビ取りに昨夜使ったハイターのボトルが目に入った。

 

けばけばしいデザインから普段は忌み嫌っている緑色のボトル。だがその時だけはとてつもなく魅力的に見えた。

 

直接唇をつけて中身を飲み干したらたまらなく美味しいのではないだろうか?

 

ハイターを飲むなんて考えたこともなかったし、もたらされる結果は私のあらゆる美意識や信条に反する。

 

なのにその一瞬だけはあらゆる理屈を超え
(アァきっとこれは飲めば幸せになれるもの凄く美味しい液体なんだサァ飲みましょう、エェそうしましょう……)
と思えた。

 

その瞬間

 

「それでも死ねはしないだろうよ」

 

頭に声が鳴り響き、絶望に襲われハイターも飲まなかった。