虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性① - ドクダミハニー_ブログ
虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性② - ドクダミハニー_ブログ
↑ ここまでのぼやきはこちらを参照ください
親と縁を切るのが
なんでこんなに難しいのか、考えている。
(永久に本題に辿り着かず
尻切れトンボになる可能性があります、すみません)
2. 劣等感にさいなまれる
親と縁を切っていることを世間に公表するのは気がひけることです。
アタマではその選択が絶対正しかったと思っているのに
世間に堂々と言えない理由はいろいろありますが
そのひとつに
「劣等感」がある。
私だけでしょうか。
親との関係で、自分は「落ちこぼれ」たからです。
世界にたった一組しかいない自分の親とも仲良くできなかった
という事実は重い。
自分ができていないこと(親子関係を維持すること)ができている
世の中の大多数の人に対して劣等感を抱いてしまうのです。
人間関係の基礎となる親子関係すら維持できないなんて、
人間としての根本的な不具合があるんだ自分は。
しかもそれはかなりおっきな不具合だぞ。
と自分で自分を責めてしまいます。割と頻繁に。
自分は世の中の人たちより劣っているんだ、と、
どーしても感じてしまう。
アタマではそんなことないと思っていても
ココロが劣等感をびしばし感じる。
性格的に自分とは合わない人や嫌いな人とでも
表面的には和やかにうま~く付き合える人とそうじゃない人、
どっちが大人ですか?
一般的には、前者だとされていますよね。
私は後者だということと日々、向き合わなくていけないので
疲れちゃうんですよね。
本当は自分の心をごまかして、
「いや、私だって人とうまくやれるんだから!」
と思い込みたい。
しかし「親と縁を切っている」という事実が
そうさせてくれないんですね。
親子関係の問題や虐待のことをネットに書くと
「もういいトシなんだからいつまでも親のことに
こだわるのはよしなさいよ」
「親を許しなさいよ」
というレスが必ずつきます。
けど、それは的外れなコメントです。
これらのレスポンスが的外れなのは
こういう理由からです。
親にされたことに対してこだわっているんじゃないんです。
親との関係性を切るしかなかった自分に対してこだわってるんですね。
本当にこれしかなかったのか?他に道はなかったのか?
あのときこうしていれば違っていたのか?などなど。
そうするしかなかったと頭では理解していても
罪悪感や劣等感にさいなまれているから、それが
外部には「無意味なこだわり」に見えてしまうんだと思います。
親との関係性を切ることでしか
自分や周りを守れなかった「子」の方が
虐待を行ってきた「親」*1
よっぽど世間からの許しを必要としているんじゃないでしょうか。
*1:虐待するような親はそもそも罪悪感なんてもちあわせていない。モラルハラッサー(親のこと)には自分が悪いことをしているという意識なんかありません