虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性① - ドクダミハニー_ブログ
虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性② - ドクダミハニー_ブログ
虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性③ - ドクダミハニー_ブログ
↑ ここまでのぼやきはこちらを参照ください
なぜ親と縁をきるのがむずかしいのか考えるシリーズ~♪
ブログを書くときはぜったいにアウトラインをメモったり
しておかない主義(なんのアピールだ)なので
昨日なにを書こうとしていたのかもはや忘れかけている。
しかもこういうテーマで書くと体調が悪くなって
書く時間がつづけばつづくほど悪化するので
ぶっ倒れるまえにざっくり書き終えたい。
ぜったいこうなると思っていたのよ!((# ゚Д゚)
なのでここからのエントリは短くなると思います。
3. 親と縁を切ると、罪悪感がすごい
日本は未だに儒教の影響色濃くのこる社会です。
本にせよメディアにせよ、
「親を大事にしよう」、「だいじなのは絆だよね」、
「やっぱ家族っていいよね」
そういう内容のものは売れる。人々の支持を得られる。
お商売になる。
「毒親」ものが出版され始めたのはほんのここ数年のこと。
親と縁をきりたいと思っている人が
本やネットなどで情報を得たいと思っても、
そんな内容はほとんどないのが実情。
おかしい。
親と縁をきったのは、日本中でわたしだけなのだろうか?
そんなはずはないだろう。
なんで他の「縁キラー」たち*1
はブログを書かないの?と思う。
とはいえ
なぜ他の人がこういう内容の
エントリを書こうとしないのかよくわかる。
罪悪感がすごいのですよ。
これ書いてる今も胃が痛い。
親と縁を切る人なんて、ものすごくドライで
いろいろ割り切っててすっきりさわやか!
強く明るく明日に向かって生きてる人なのかなぁ
と私は思っていた。
けど少なくとも私はそうじゃないみたいだ。
なーんにもしない母の日・父の日、
家族ってクソだなとしか思わない大晦日、
絆を確かめ合わないお正月、
自分の生誕を誰にも祝われない誕生日、
そんな一年をすごすたびにに私の心には
漬物石のような「罪悪感」が溜まっていく。
それが40年分たまった今、
私は横になると、はるかはるか地底の底まで
体が沈んでいきそうになる。
こういうこと書くと
「本当はおとーさんおかーさんのこと、大好きなんだね♡♡」
「気になってしょうがないんだね♡♡」
などと言われる。
けど、それは違います。
おとーさんおかーさんのことが1mmも好きになれなかったから
私はこんなに罪悪感を感じているんです。
両親に、好きになれる要素がほんのすこしでもあったなら、
「ほら、あたしだって人並みに親を好きだし」
と思えるだろうし、ここまで罪悪感かんじないだろう。
気になっているのは、おとーさんおかーさんのことではなく自分のことです。
両親を愛せない自分がいかに人でなしか、ということが
気になってしようがない。
へらへら笑いながら虐待をした方の人たちではなく
虐待を受けたほうの私が「悪い人」になることに
いいようのない理不尽をかんじる。
私だって、「いい人」に見られたいんですよ!
それが、こんなブログエントリ書いちゃったら、
自分がいかにクズかが露呈するだけでしょ。
もーさいあくっすよ。
*1:「縁キラー」←こういう風に茶化した風に書くから批判コメントがくるんだよね