虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性① - ドクダミハニー_ブログ
↑ ここまでのぼやきはこちらを参照ください
親と縁を切るのが
なんでこんなに難しいのか、考えている。
1.『親』に代わるものがない
「親」に代わるものって、直接にはないでしょう。
誰かの養子にしてもらわない限り。
だから罪悪感がいつまでも消えないのかもしれないねぇ。
どうだろうか。
世間には、親(もしくは親的なもの)の代替品ならいろいろありますよ。
仕事とか、恋人とか、伴侶とか、宗教とか、
コーチ、上司、友達、
お酒とか、麻薬とか、ギャンブルとかでしょうか?
けど、誰かの養子にならない限り、
親と縁を切っちゃった人は
永遠に「親」という存在はもてなくなる。
「親」のない人は、この世に存在しません。
その取り換え不能な「親」というものを、
自分で捨てるんですよ!
世間一般からすれば「アタマおかしい……」と
思われること必至。
捨てるものとしてはおおきいですよね、「親」って。
キーホルダー捨てるのとはちがうよね。
たとえば不慮の事故で大切な人を亡くした、
とかではなく、
親と縁をきるのは
自分でやることですからね。
大切な人を事故・病気などでなくしたばあいとは
また違う罪悪感にさいなまれることになる。*1
たとえば、カルトに入っていた人が脱会したくて、
それでも宗教的な組織には属していたい、と思った場合。
世の中はいろんなカルトや宗教があるから
とりかえることはある程度可能なのかもしれない
(不可能かもしれないけど)。
もちろんどんな宗教も唯一無二だろう。
しかし、今入っているカルトはちょっと合わないと思った場合
カルトや宗教的組織に属しているライフスタイルがあってるなら
別のカルトに入るという選択肢がある場合もある
かもしれない(ないかもしれないけど)
(私にはカルト脱会の大変さはわからないので
失礼な表現になっているのは謝ります)
けれども。
自分の生活や、仕事や、健康や
自分に関わる人たちを守るには、
親との縁を切る
(連絡を絶つ、それでもだめなら、行方をくらますなど)
くらいしないと自分の人生にとって大切なものたちが崩壊する。
そんなとき、別の「親」の「子」になる、なんて制度はない。
つづく
(なかなか本題に辿り着かない)
*1:大切な人を事故でなくしても私は罪悪感にさいなまれると思うけど、ちょっと種類がちがう罪悪感だと思う