『我らの不快な隣人 統一教会から「救出」されたある女性信者の悲劇』(米本和広・情報センター出版局)

世界の中にいて安全であるという感覚、すなわち<基本的信頼>は人生の最初期において最初にケアしてくれる人との関係の中でえられるものである。(略)恐怖状況において人びとはおのずと慰藉と庇護の最初の源泉であったものを呼び求める。傷ついた兵士もレイプされた女性も母を求め、神を求めて泣き叫ぶ。この叫びに応答がなかった時に基本的信頼感は粉々に砕ける (p.125)

 

親が自宅で懇懇と説得して脱会した場合、信仰を捨てるだけの話しです。しかし、親による拉致監禁は信仰をはく奪するだけにとどまらず、信者が入信する以前から培ってきたもの、人格といえばいいのか、信仰の土台である人間としての根源的な部分まで根こそぎはく奪する行為なんですよ。 (p.218)

 

「他人のしたことなら忘れられるが、家族のしたことは忘れません」「両親に対して、レイプした相手に対するような感情を持っている」 (p.219)

 

『我らの不快な隣人 統一教会から「救出」されたある女性信者の悲劇』(米本和広・情報センター出版局)より

 

我らの不快な隣人―統一教会から「救出」されたある女性信者の悲劇

 

 

ある日、目覚めると、巨大バウムクーヘンのような大きくて厚みがある(しかしバウムクーヘンなんかよりずっと硬い)枷のようなものが、脳みそからぽこっと外れたような感覚がある。マインドコントロールが解けるってきっとそんなかんじ?