Jの証人の勧誘 忠実な子供だったワタシ編

 

Jの証人発祥のとある国に住んでいたことがある。

 

日本企業の海外駐在員に帯同する家庭は

学校入学や病院の問診票作成などあらゆる書類作成時に

「信仰する宗教」を申告する必要がある。

 

キリスト教ヒンズー教イスラム教、仏教、その他。

 

そのリストから該当するものにチェックを入れる。

 

「仏教」って書きなさい!

書類を作成するたびに母に怒鳴られた。

母は私に何かいうとき、いつも怒鳴る。

 

私には自分が「仏教」を信仰しているなんて実感がなかった。

 

先祖のお墓が仏教の寺にあることは知っていたが

そこに行ったことはなかった。

機能不全家庭だからお墓参りに行ったことがなかったのだ。

 

顔見知りのお坊さんもおらず、

お坊さんエンカウントがゼロな私には

仏教の具体的なイメージがわかなかった。

 

私にとっての神さまのイメージ、

それはお地蔵さんだった。

もしくはおじいちゃんに連れられてお賽銭をいれた神社。

竹林に囲まれていて清浄な空気が好きだった。

 

お地蔵さんて仏教なのか?

なんか違う気がしたけど自信がなかった。

神社は確実に仏教じゃないよね?

じゃあ「その他」になるのかな?

 

けど

「『仏教』にしろ、『その他』なんかにしたら

どんな目で見られるかわからない」

そう母が怒鳴るので「仏教」にチェックを入れた。

 

駐在員家庭は「仏教」にチェックを入れるよう

企業から指導されるらしいと知ったのはもうすこし

大人になってからだった。

 

現地で住んでいた家にはJの証人がときどき勧誘にきた。

両親にかわっていつも私が対応をさせられた。

うちでは面倒くさいことは常に私がやらされる定めだった。

 

そのうちのひとりのご婦人が記憶に残っている。

 

「こんにちはJの証人です。私たちのミーティングに来ませんか」

その日、うちのチャイムを鳴らしてやってきたのは

花が大声で主張しているような

お洋服をお召しのご婦人だった

(Jの証人が花柄を着るのは

世界共通なのだろうか)。

彼女の顔には「おだやかな微笑」と自身で命名し、

日々使い込んでいるかのような

型にはまった微笑が浮かんでいた。

 

 

「けっこうです、ありがとう。我々は仏教徒ですから。」

母親に「仏教徒だと言って断りなさい!」と

どやされたとおりに、精一杯の英語で私は対応した。

 

するとご婦人は、それまでの「おだやかな微笑」から

「哀れみ」と命名されているかのような

表情にかちりと顔面を切り替えてからこう言った。

 

「あなたはかわいそうな人ね」

 

ぽかーんとした表情を浮かべるわたしに

彼女はなおもこう言った。

「ミーティングには日本人も来るわ。

あなたたちも来るべきよ。」

 

目の前のご婦人よりも

母親に折檻されるほうが怖かった私は忠実にくりかえした

「けっこうです、ありがとう。我々は仏教徒ですから。」

 

そう言ったところ彼女の表情が再びかちり!と切り替わった。

今度のは、

「阿修羅」と異教徒である私なら命名したいような

おそろしい表情だった。

 

「この世が終わってあなたが地獄に行くときに

後悔するわよ!」

ご婦人が興奮して、はぁはぁ息を荒げているのが

不気味だった。

 

「えっと、我々は仏教徒なので……」

この世が終わって地獄に堕ちるなんて初耳だったが

バカの一つ覚えで繰り返した。

 

どのみち私が地獄に堕ちるには

この世の終わりまで待つ必要もないのだ。

目の前のこのご婦人を玄関から追い払う

任務に失敗すれば早々に

私は母によって地獄に堕ちることになるのだから。

 

「もういいわ!」

何度かの不毛なやりとりの末、

ようやくご婦人はくるりと背をむけて

帰っていき、二度とうちを訪れることはなかった。

花柄が怒る彼女の肩のあたりで

笑っているように揺れていた。

 

当時はナニ言ってるのかよく理解できなかったけれど、

彼女から見れば私は

「サタンにとり憑かれた子供」

だったんだろうな。

 

彼女が一生懸命私をミーティングにいざなおうとしたのは

私が地獄に堕ちないようにという

ある種の親切心だったんだな。

 

私自身も大人になり、

「親切な人に見られたい欲」というのが

分かるようになった今、

思うのでした。