『薔薇はいいから議席をくれよ(キム・ジナ)』感想 女性の苦しみをなくそうとしている運動もトランスジェンダーを連帯に含めないのでは、結局多くの人を苦しめるのでは?

『薔薇はいいから議席をくれよ(キム・ジナ著・大島史子訳)』

【目次】

 

読みやすいが共感はできない

 不勉強なため、私にはフェミニズムがなぜトランス権利と両立しないのかがわからなかった。
 「著者はソウル市長に出馬もした韓国のフェミニストだが、トランス女性の権利には積極的ではない」
 という前情報だけでこわごわ読み始めたが、第一線の元・コピーライターさんが書いただけあって文章・構成が卓越しており、ぺージ数もコンパクト。
 一気に読了できるようにつくられていてさすが。
 翻訳者さんの力量にも感謝。

 

 だが読了後も自分の考えは変わらなかった。
 やはりトランスジェンダーの権利を含めないという著者のスタンスには賛同できない。
 

本書のメッセージ

 私なりの理解だが要約すると

「不況と不安定な雇用で女性が未来に希望を抱けない今は待ったなしの状況。
マイノリティ全体の権利よりもまずは女性の権利を勝ち取らなくてはならない。」

 というのが著者のメッセージだろうか?

 

 短いキャッチコピーで大勢に訴求し「運動」を通じて社会を変えようというのが本書の狙いである以上、
 「私が闘うのはここからここまでですよ」
 ときっちり線引きするのは必要になるし、そうでもしないと結果なんか出ないだろう。


 だけど、私が「運動」というものに参加できない体質なのは、このあたりに原因があるのかもしれない。
 女性の苦しみをなくそうとしている著者の運動も、トランスジェンダー女性を連帯に含めないのでは、結局多くの人を苦しめることになると思ってしまうからだ。

 

共感した点

 なお、一番共感したのは著者自身が希死念慮と闘ったことを綴った『消滅の誘惑を前に』。
 以下引用です

p.52 人間同士でも非常に複雑な立場の違いがあるというのに、どうして女たちの抱く恐怖や死の想像がこうも似ているのだろう。
どうして騒ぎも起こさず誰かに加害もせずに、静かに消えたいと思うのだろうか。2020年上半期の韓国女性の自殺件数が2019年上半期と比較して7.1パーセント増加した…略…
中でも20代女性の自殺率は43%も激増した。

p.53 未来が描けない、あるいは度を越してひどい未来しか描けない恐怖が、先制的自己防衛として自己犠牲を選ぶよう女性を誘惑している。

p.54 死は徹底して個人的な経験だ。
しかし権力も経済力もない若い女性たちが感じる死の誘惑となれば、それは明らかに集団的経験だ。
裏にはまともな就職先と自立の機会を与えない男性中心社会の構造的暴力が潜んでいる。
自分を取り巻く苦痛が決して個人的な至らなさやあやまちや不運のためではないという事実、何も言わずに消えたい誘惑は自分だけではなく多くの女性が抱いている苦痛の経験だという事実を、女性たちに知ってほしい。

 

共感できない点

 希死念慮に関して共感できる点はあったものの、決定的に私自身の考えと相容れない部分はやはりトランスジェンダー女性に関する記述だった。
 女性同士連帯しようと呼びかける本書だが、トランス女性をそこに含めないという。

 

 私はトランスジェンダー女性とも連帯したい。
 トランスジェンダー女性を連帯から線引きする著者のスタンスは到底受け入れられない。

 

 著者は韓国で2020年淑明(スンミョン)女子大にトランス女性が入学を許可された件やオリンピックにトランス女性が出場した件などを例としてあげている。

 

p.101 それは自分たちの空間を審判されたり実質的不安を感じることのない男性たちがトランスジェンダー入学に反対する女子大の学生を誰もかれも「トランス嫌悪者」と決め付けるのと同じような、偏狭な考えかもしれない

 

p.131 2021年夏、東京オリンピック重量揚げ女子87キロ級に、ニュージーランドの選手ローレル・ハバードがトランスジェンダーとして初めて出場した。
30年以上男性の身体で生きてきて、男性器は除去せずホルモン治療を受けたハバードときそった選手たちは、「男子と闘わされた」と公正性について問題提起した。

 

 しかし、女子大への入学もオリンピックへの出場も控えていない私の現実の生活がトランスジェンダー女性によって脅かされることはない。

 

 誰と連帯するかしないかを自分の現実の生活感覚で決めたい私にとって、著者が挙げる例は抽象的すぎるんだと思う。
 テンプル・グランディンの以下の言葉を思い出した。

 

p.45 当節は抽象思考人間が担当していて、現実にもとづかない抽象的な議論や論争にしばられる。
これは、政府内に派閥抗争が多い理由にもなっているのだろう。
私の経験では、人は抽象的に考えると、ますます過激になる。(『動物感覚(テンプル・グランディン著・中尾ゆかり訳)』)

 

 運動で社会を変えることや自分の生活感覚などについて考えを深められたので『薔薇はいいから議席をくれよ(キム・ジナ著・大島史子訳)』は有意義な読書体験でした。