虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性③

虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性① - ドクダミハニー_ブログ

虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性② - ドクダミハニー_ブログ

↑ ここまでのぼやきはこちらを参照ください

 

親と縁を切るのが

なんでこんなに難しいのか、考えている。

 

(永久に本題に辿り着かず

尻切れトンボになる可能性があります、すみません)

 

2. 劣等感にさいなまれる

 

親と縁を切っていることを世間に公表するのは気がひけることです。

アタマではその選択が絶対正しかったと思っているのに

世間に堂々と言えない理由はいろいろありますが

そのひとつに

「劣等感」がある。

私だけでしょうか。

 

親との関係で、自分は「落ちこぼれ」たからです。

世界にたった一組しかいない自分の親とも仲良くできなかった

という事実は重い。

 

自分ができていないこと(親子関係を維持すること)ができている

世の中の大多数の人に対して劣等感を抱いてしまうのです。

 

人間関係の基礎となる親子関係すら維持できないなんて、

人間としての根本的な不具合があるんだ自分は。

しかもそれはかなりおっきな不具合だぞ。

と自分で自分を責めてしまいます。割と頻繁に。

自分は世の中の人たちより劣っているんだ、と、

どーしても感じてしまう。

アタマではそんなことないと思っていても

ココロが劣等感をびしばし感じる。

 

性格的に自分とは合わない人や嫌いな人とでも

表面的には和やかにうま~く付き合える人とそうじゃない人、

どっちが大人ですか?

一般的には、前者だとされていますよね。

私は後者だということと日々、向き合わなくていけないので

疲れちゃうんですよね。

 

本当は自分の心をごまかして、

「いや、私だって人とうまくやれるんだから!」

と思い込みたい。

 

しかし「親と縁を切っている」という事実が

そうさせてくれないんですね。

 

親子関係の問題や虐待のことをネットに書くと

「もういいトシなんだからいつまでも親のことに

こだわるのはよしなさいよ」

「親を許しなさいよ」

というレスが必ずつきます。

けど、それは的外れなコメントです。

これらのレスポンスが的外れなのは

こういう理由からです。

 

親にされたことに対してこだわっているんじゃないんです。

親との関係性を切るしかなかった自分に対してこだわってるんですね。

本当にこれしかなかったのか?他に道はなかったのか?

あのときこうしていれば違っていたのか?などなど。

 

そうするしかなかったと頭では理解していても

罪悪感や劣等感にさいなまれているから、それが

外部には「無意味なこだわり」に見えてしまうんだと思います。

 

親との関係性を切ることでしか

自分や周りを守れなかった「子」の方が

虐待を行ってきた「親」*1

よっぽど世間からの許しを必要としているんじゃないでしょうか。

 

 

*1:虐待するような親はそもそも罪悪感なんてもちあわせていない。モラルハラッサー(親のこと)には自分が悪いことをしているという意識なんかありません

虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性②

虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性① - ドクダミハニー_ブログ

↑ ここまでのぼやきはこちらを参照ください

 

親と縁を切るのが

なんでこんなに難しいのか、考えている。

 

1.『親』に代わるものがない

「親」に代わるものって、直接にはないでしょう。

誰かの養子にしてもらわない限り。

だから罪悪感がいつまでも消えないのかもしれないねぇ。

どうだろうか。

 

世間には、親(もしくは親的なもの)の代替品ならいろいろありますよ。

仕事とか、恋人とか、伴侶とか、宗教とか、

コーチ、上司、友達、

お酒とか、麻薬とか、ギャンブルとかでしょうか?

 

けど、誰かの養子にならない限り、

親と縁を切っちゃった人は

永遠に「親」という存在はもてなくなる。

 

「親」のない人は、この世に存在しません。

 

その取り換え不能な「親」というものを、

自分で捨てるんですよ!

世間一般からすれば「アタマおかしい……」と

思われること必至。

 

捨てるものとしてはおおきいですよね、「親」って。

キーホルダー捨てるのとはちがうよね。

 

たとえば不慮の事故で大切な人を亡くした、

とかではなく、

親と縁をきるのは

自分でやることですからね。

大切な人を事故・病気などでなくしたばあいとは

また違う罪悪感にさいなまれることになる。*1

 

たとえば、カルトに入っていた人が脱会したくて、

それでも宗教的な組織には属していたい、と思った場合。

世の中はいろんなカルトや宗教があるから

とりかえることはある程度可能なのかもしれない 

(不可能かもしれないけど)。

もちろんどんな宗教も唯一無二だろう。

 

しかし、今入っているカルトはちょっと合わないと思った場合

カルトや宗教的組織に属しているライフスタイルがあってるなら

別のカルトに入るという選択肢がある場合もある

かもしれない(ないかもしれないけど)

(私にはカルト脱会の大変さはわからないので

失礼な表現になっているのは謝ります)

 

けれども。

 

自分の生活や、仕事や、健康や

自分に関わる人たちを守るには、

親との縁を切る
(連絡を絶つ、それでもだめなら、行方をくらますなど)

くらいしないと自分の人生にとって大切なものたちが崩壊する。

 

そんなとき、別の「親」の「子」になる、なんて制度はない。

 

つづく
(なかなか本題に辿り着かない)

*1:大切な人を事故でなくしても私は罪悪感にさいなまれると思うけど、ちょっと種類がちがう罪悪感だと思う

虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性①

私が育った家庭は
夫婦間・親子間の精神的暴力や肉体的暴力や
モラルハラスメントが多くあり
地域とのつながりがうすい密閉空間でした。

 

自分の育った家庭は、機能不全家庭であることは確かだと思うが
虐待?DV?毒親?AC?
そういうことがあてはまるかどうかは
未だに、私にはわからない。

 

家族が人と人とをつなぐちいさなコミュニティだとすれば
私の実家はそーゆー機能は果たしてなかった。
だから「機能不全家庭」であろうということは自信をもっていえる。

 

けど他の用語「虐待」?「DV」?「毒親」?
これらの言葉は、便利だから私も使うことは多々あるんだけど
それが自分に当てはまるのかどうかは
ピンときていない。

 

10年近く通ったカウンセラーさんに、
通って8年目くらいで「かなりの虐待だったと思いますよ」
と断言していただたけど、
それでもピンとこない。

 

親からの電話は着信拒否にし、住所も数回変え、
電話・郵便・メールでの連絡もせず
一度も顔も合わせなくなって10年も経つし
私はもう40歳なのに。*1

 

親と縁を切っている、

そのことに一切の迷いも後悔も頭の中にない。

むしろ、善戦しているほうじゃないかと思う
(自画自賛)。

 

けれど、罪悪感と劣等感がこころの中にある。

自分の頭の中には、そんなものはない。

けれど、こころの中には確実に、ある。

私が苦しいのはそのせいだと思う。

 

一生、こうなのかしら?

私以外でも親と縁を切った人は、

誰しもずーっとこういう心の葛藤を抱え続けるのかしら?

 

けどなあ。

自戒を込めて言うんだが、
こういうこころの状態って、とても危険だよなあ。

 

心の罪悪感と劣等感から、

『親』にかわる絶対的な存在(物理的にも価値観的にも)を

無意識に求めている自分がいることに気づいて

ショックを受けることがよくある。

 

「ACの人は親から存在の全て受け入れてもらったことがない。

だから大人になって、自分の存在のすべてを受け入れてくれそうな

人を探すけど、そんな人はこの世にいない。

大人が大人に自分の存在をすべて受け入れてもらおうとするのは間違いです

というようなことが斎藤 学さんの本に書いてあった

(大意)。

 

私なんかもう40のばあさんだけどさ。

そして、頭ではそれは間違いだと分かっているけどさ、

自分の存在すべて受け入れてもらえたら、
生きるのがどんなにラクになることでしょう……💖💖

っていう甘えはこころの中にどーしてもあるよね。

 

やすきに流されそうになっている自分のこころ。

弱い、弱い!こころ!(←こころを叱責している)

 

☆ ☆ ☆

つづく

 

 

 

 

 

 

*1:けど10代の頃より20代、20代の頃よりは30代、30代の頃よりは今のほうが精神的にはラクになってきているので、若い人は絶望しないでください

なぜドクダミハニーなのか?

このブログはいつからかドクダミハニーのブログになっているけれど、以前は違うタイトルでやっていた。
このブログのテーマは

クビになった元OL(しかも失業保険がでなくて家賃払えない)がこれからどうなるのか?

をリアルタイムでつづるというものである。
もしくは、そういういうものだった。

私は、ブログを「リアルの世界を離れて内緒バナシできる場所」ととらえている。
唯一、本当の自分をさらけ出してよいと自分で自分に許可している場所、それがブログ!
リアルの世界の人には口が裂けても告白できないことを書く場所、それがブログ!

私のアイデンティティはそのころから変わっていない。
自分の性自認が女であることが変わらないのと同じように
「クビになった元OLで現無職」というのが自分のアイデンティティ自認(そんな言葉あるのか)である。


私は万事に対してぼーっとしすぎているし
アイデンティティは変化しないまま今日までやってきたわけでございます。

けどある時期を境にこのブログ(このブログにしてはという程度だけど)、妙にアクセス数が多くなってしまった。


怖くなってきた。



「クビになった元OLで現無職」がこそこそ内緒で書いてるブログとしてではなく、
「別の属性の人が書いているオフィシャルなブログ」として読む人が増えてきたからだろうか……?
と私は勝手に思った。

それに対して、私のこころが追い付かない。

今まではリアルの世界の私と、ブログ上の私を、絶対に結び付けられてはならない、
このブログを書いているのが私だとバレたら死ぬ!と自分で思ってきた。

けれどある時期を境に、「あのブログを書いたのは私です」とリアルの世界で自己紹介までさせていただく機会に恵まれるように。
今までは自分の中だけの秘密だったブログなのに。
ある時期からなんなら「私を代表するもの」みたいな位置にまで昇格?している。

けれどそれにこころが追い付かない。




なぜこのブログをある日突然ドクダミハニーにしたかというと、グーグルで検索したひとがふらっとやってきて、
「某へっぽこエセライターもどきが運営するブログはどれだ?ああここか。」
と気軽に来れるブログにしたくないなあ、なんて思ってしまったからです。

このブログは、
「クビになった元OL、明日にはどうなっちゃうの?」
って心配して読みにきてくれていた人たちだけが引き続き読みにきてくれる場所だったらいいなあ、と思って。

前々から読んでくれる人たちには誰が書いてるかわかるけど、一見さんには誰が書いてるのかわからないブログにしたいなあ、なんて思って。

排他的ですね!






私はブログを読むのが好きでいろんな方のブログを読む。
今日も楽しく読んだ。
ライターさんが書いているブログだ。

ライターという職業の方が無償でブログに文章を書くのはなぜだろう?

ライターさんは、いろんな媒体から注文を受けて文章を書くのがお仕事だ。

きっと既存の媒体からは特に注文は来てないけれども自分が書きたいことを、ご自身のブログに書くのだろう。
たとえギャラが発生しなくてもいいから文章化したい!と思っていることを書くのであろう。
今までは、自分の中ではそんな風にとらえて、ライターさんのブログを楽しく読んでいた。


で、今日気づいたわけです。このブログを読みに来てくれる人にもしそういう風にとらえて読む人がいたら……?


怖すぎる。


私は万事に対してぼーっとしすぎている。
どうりでリアルの世界の人と話しがかみ合わないはずだ、とようやく合点がいった。



覚悟とかプロ意識とかとは違う次元のハナシなんです。
アイデンティティ、っちゅうもんが自分の中で変化するには、時間を要する。

今はまだ混乱中。

連鎖

男の子は、自分の言いなりになる存在が欲しくなりました。
そこで男の子は、女の子と結婚しました。
女の子は夫の言いなりに暮らしました。
「家族っていいな。」
男の子は思いました。

女の子は、夫の言いなりにばかり暮らすのがいやになってきました。
女の子も自分の言いなりになる存在が欲しくなりました。
そこで女の子は、子供を産みました。
子供は男の子でした。
男の子はおかあさんの言いなりに暮らしました。
「家族っていいな。」
女の子は思いました。

男の子はおかあさんの言いなりにばかり暮らすのがいやになってきました。
(冒頭に戻る)

オラは死んじまっただ(社会的に)

瀕死で運ばれたHospital
救急車の中プーさんのマスコット揺れる

 

もうオラ、死ぬのかな……

 

おっとその前に欠勤れんらく
もうろうとする意識でスマホ握る

LINEに届くメッセージ上司から

「れんらくおせーんだよ
 みんなお前が無責任って言ってるぞ
 で、次出れるのいつ?」

 

オラ退院、体は生き返ったが
戦力外通告、留守電に残ってた
「ネガティブになっちゃダメだ☆
 これは解雇じゃないんだから」
上司がのこしたメッセージ

教えてくれよ上司
解雇じゃないならなんなんだ

 

オラ体は生き返っただ
けど社会的には死んじまっただ

 

私物、持ってかえらなきゃ……


それを制する上司
オラがデスクに近づくのはもはや禁止

もうオラは社内えんがちょ人物
誰も目を合わせてくれないの

ごみ捨て場にころがっていたよ
オラのスケジュール帳

 

「ここで学んだことは今後の人生で
 絶対役に立つから、なっ🎵」
上司は言う
やめてくれ傷口に塩をすりこむのは


「お前ネガティブすぎんだよw
 クビにしたわけじゃないのにさ^^」
教えてくれよ上司
クビでも解雇でもないならなんなんだ 

 

オラ体は生き返っただ
けど社会的には死んじまっただ

 

※ぜんぶフィクションです

情緒不安定な春、お差し入れをいただき泣くドクダミ

ちょっと最近はドクタミ、情緒不安定なのよ。

桜が咲く時期はダメね。まいとし情緒不安定になるのよ。

 

きれいに咲く桜を見習ってさ、このままじゃ人生ダメかなーなんて考えてさ。

新たな一歩を踏み出すとするじゃない?

新しいコミュニティに入れてもらうじゃない?

すると決まってこう思っちゃうのよ。

 

「あたし、みんなの邪魔になってる……?」(←邪魔なんて一言も言われてない)

  ↓

「ここにあたしなんかががいちゃ足でまといだわ……」(←人手不足だからむしろもっと来てくれと言われている)

  ↓

「あたし、やっぱり消えたほうがいいのよ!」(←なぜそうなる)

  ↓

「というより死んだほうがいいわ!そうよ桜みたいに散るのよ!」(←だからなぜそうなる)

 

気持ちは落ち込むし、家計簿をつければお金がないし、家にかえれば米びつまで空っぽだし、ドクダミ、ますますぜつぼうしていたの。

 

☆ ☆ ☆

 

するとそこに救世主が!

 

読者様からのお差し入れよ!!!

 

どどど読者さまからお米とティーバッグのお差し入れが!!!!!うおーーーん(இдஇ; )ドコドコドコ

ありがとうございます!!!

 

げんまいーーーげんまい大好きよーーーーー

カモミールーーーカモミール大好きよーーーーーー!

ありがとう、ほんとにありがとう!

 

これで栄養つけて、またあたし、頑張るわ……‼