かねてよりみんなに
「顔が怖い」
「感じ悪い」
と言われ続けてきた。間違ってるのはみんなだとゆるぎなく確信してたし、ひどいのはみんなだとずっと思ってたし、今日12時間連続でyoutubeを編集して痛感した。
「私、顔が怖い」
みなさん疑ってすみませんでした。
もっと、ほんわかできるように努力します。ぜひともぜひともチャンネル登録といいねと本の購入お願いします(最高にかんじのいい笑顔で)。
かねてよりみんなに
「顔が怖い」
「感じ悪い」
と言われ続けてきた。間違ってるのはみんなだとゆるぎなく確信してたし、ひどいのはみんなだとずっと思ってたし、今日12時間連続でyoutubeを編集して痛感した。
「私、顔が怖い」
みなさん疑ってすみませんでした。
もっと、ほんわかできるように努力します。ぜひともぜひともチャンネル登録といいねと本の購入お願いします(最高にかんじのいい笑顔で)。
ここ(http://haguki-lovey.hatenablog.com/entry/2020/08/09/210630)に書いたような状態に私はよく、なる。
自分が本当にここに生きてんのか、死んでんのか、存在してんのか。ここはどこなんだ? アメリカ? 日本? 私は何歳? とか混乱してわかんなくなる。ヤバい人だ。ただのキチガイと思ってくれ。
今回疫病のさなか、わがままを言って無理に会をさせていただいた。
Oちゃんの番組を家で一人で見たらもっと不安定になってたと思う。今回、周囲に人がいて自宅じゃなかったおかげで現実との接点が保てた。関係者各位には心からお礼申し上げたい。
などと考えていたらY先生のことも細々と思い出した。忘れないうちに書き留める。
卒業の際に「超誉れ」の賞を逃した(この件→ http://haguki-lovey.hatenablog.com/entry/2020/08/08/234133)と聞き、烈火のごとく怒ったのちにギャラリーに私の作品を展示してくれたY先生だったが、私は
「どうしてこんなに優しくしてくれるんだろう?」
とずっと不思議だった。
歳とって、自分より若い人が死ぬのを見るのが辛いのもあって気づいた。Y先生、私の希死念慮を嗅ぎつけてたのかもしれない。
「こいつこのまま死ぬんじゃね?」
と心配して、労わってくれたんじゃなかろうか。推論でしかないけど。
Y先生のことを少し説明する。当時すでに70歳代、生気に溢れてキレキレだった。歩く才能、みたいな。いろんな意味で鋭すぎるので注意しながらじゃないと近づけない。授業では訳のわからないことを延々しゃべるんだけど、私はそれがべらぼうに面白いと思っていた。
ある授業でY先生は一冊の本を胸に抱えて登場した。
「俺の親友が出した本だ。自殺した。」
いつもハイテンションな大声での講義スタイルの先生が、ぽつりと言ったので記憶に残ってる。
けど「辛いだろうな」とか「寂しいだろうな」などとはつゆほども思わなかった。想像すらしなかった。まだガキだったから。
数年後、私は学校の図書室でY先生を見かける。書架の前に突っ立っていたからあいさつした。とはいうものの、コミュ障の私は世間話ができない。書架に目をやった。いつぞやの本がある。私は何気なくそいつを棚から抜き出した。
「お前、なんでこれにしたんだ!?」
本を眺める私にY先生は血相を変えて聞いた。
「へ?」
「なんでこれにしたんだよ!?」
息せききって畳みかける先生にびっくりして、
「や、これ、先生のお友達の本でしょ……?」
しどろもどろ、答えると
「何で知ってる!?」
と驚く。
「授業で見せてくれたから。それで……」
「Oh」
とつぶやいたきり、Y先生、一言もしゃべらなくなった。
いつもマシンガンのように喋る人なのに、黙ってるから気味悪くてしょうがない。そそくさとその場を立ち去った。
また別のとき。
カフェテリアでY先生がワイフ1号の写真を見せてくれた。
「モデルだ。双極性障害だった。水泳してて死んだ。」
白黒の写真はA5くらいのサイズだっただろうか。印画紙越しに美しい女性と目が合った。彼女は髪をゆったりとした70年代のアップスタイルにして、アンニュイに頬杖をついている。
紙に何十年も前の一瞬がそのまま焼き付けられていることが不思議だった。写真には触れることができるのに、ここに写っている人はもうここにはいない、それが信じられなかった。
またべつのとき。
Y先生は、ニューヨークタイムスの記事を拡大コピーしたものをくれた。今でも持ってる。この記事を先生がくれた意味を私は日本に戻ってから、身をもって理解することになる。
卒業式にて。
美術大学に入学できたこと、そして、なんとか卒業できたことは、私にとっては人生で一位二位を争う「うれしかったできごと」だ。
卒業式で、Y先生はまた怒ってくれた。
「お前の両親は卒業式にも来ねえのか! クソだ!」
カンのいい人だなと思った。
ふつうの人は、こういうことが我々のような人間にじわじわと及ぼすダメージまで想像しないし、できない。できたとしても、こういう状況でなんて言ったらいいか、わかんないだろう。
そんな時に「誉れ」の件もあってちっちゃなハートがざらついてた私に、Y先生のこの一言は、とても、沁みた。
ありがたかった。
卒業式で先生はこうも言った。
「日本行くのか? そうか、お前のことは心配してねえよ! うん、お前は大丈夫、心配ねえ! うん、ぜんっぜん、心配してねえから!」
心配してない。お前は大丈夫。
何度も、そう繰り返し、笑って送りだしてくれた。
私が今でもだましだまし生きていられるのは、Y先生始め、いろんな方々の「想い」のおかげでしかない。
三浦春馬さんが自殺した。
生物学上の父母や母親の再婚相手にお金を無心されていたとネットで読んだ。真偽のほどはしらない。けどその前提で自殺の件を考えるとわかりみが深すぎて辛い。
自分より若い人が死んだと聞くのは辛い。私にも常に希死念慮があるから。今でも私なんかがノコノコ生きてんのは、ただの偶然だ。誰かの自殺報道を耳にするとどうしても自分に重ねてしまう。
ちょっと前に某所であるアーティストさん(仮にOちゃんとする)のテレビ出演を祝う会を催した。
Oちゃんは一時独特なライフスタイルを送り、活動を休止していた。2011年頃に活動を復活、今回のNHK音楽番組への出演は復帰後初という記念すべきオケイジョンだったのだ。
放送開始前、両手をぎゅっとこぶしに握りしめ、テレビを凝視した。自分が出演するわけでもないのにすごく緊張した。
モニター越しに歌うOちゃんは、光に包まれて神々しかった。和やかな表情。にこにこ笑う彼はもう、2011年の復活直後とは別人だった。
完全なる錯覚でしかないんだけど、まるで天国の情景を見ているようだった。白いお花が咲き乱れてあんなにも光が溢れている。暗い部屋にいる状態で明るいモニター越しに見たからかもしれない。
そんなふうに美しいOちゃんの姿を見ていたら、この10年で自分に起こったことが、走馬灯のように頭を駆け巡り始めた。
そして、私は、混乱した。私はなぜ、ここにいるのだろう。私は本当に今も生きているんだろうか? 今は2020年? これはマコトか?
2011年ごろの自分はあと3年以内には死んでそうな人ランキング1位だった。なのにまだここにいて、Oちゃんテレビ出演記念の会を催せるまで元気になっている。こんな日が来るなんて。
本当は私が死後の世界にいて、モニター越しに地上で歌うOちゃんを見ているんじゃないかしら。
テレビ映像は、美しい現実。自分の人生は、悪い夢。
私なんかが生き残って、素晴らしい若い人たちが次々死んでいるなんて、間違ってる。偶然にしても残酷すぎないか、神は?
番組が終わって、喋ろうとしても出てくるのは嗚咽と涙だけだった。普段人前で泣くことなんてないから焦った。
「Oちゃん、復活してよかったですねえ」
取り乱す私を会場の人がフォローしてくれた。復活だけが理由じゃない。けど、自分でもなんで泣いてるのかわからん。説明なんてできるわけもなく、ただ頷いた。
「なるべく多くの人に見てもらうかどうかはそんなに大事じゃなくて、本当に必要としてくれる人に届けばそれでいいんです」
とか言うのは、よくない。一緒にお仕事して下さってる方々に対して失礼だから。
重々わかっているはずなのに、時々(というかよく)ぽろっとこういうことを言ってしまう。
そして反省するんだけど、けど、やっぱり本音としては上記のとおりなので、いつも、周囲にご迷惑をかけてしまう。なぜ私はこんななんだろうか。と考えていたらひょっとしたら原点かもしれないできごとを思い出したので、書いておく。
大昔、アメリカのとある美大を卒業するとき、私はこのような通知を受け取った。
「貴様成績エエからHighest Honorsで卒業させてやる。ポートフォリオと申請書類を提出せえコラ。」
Honorsっていうのは、アメリカの学校のシステムで「誉れ」の称号つきで卒業できる、といもの。Highes Honorsは、その「誉れ」の中でも「最も高い誉れ」ということ、なのだろうか。「超誉れってる」ということか。今でもよくわからないけど。
ポートフォリオには、学校で制作した作品の中から特によいものを10~15点ほど入れる。作品集のようなものだ。私は正直、書類を書いたりポートフォリオを提出するのが面倒なのでこの通知をシカトしようと思った。
そんな私を先回りするように、通知にはこうも書き添えられていた。
「貴様わかっとるやろな。これは大変名誉なことや。卒業生でも1~2名しかHighest Honorsにはなれへん。申請バックたらシメる。」
けどポートフォリオと申請書類作成の苦労の末、却下されたら全部無駄になるじゃないか。美大での勉強は卒業間際まで体力的にも精神的にもキツいものだった。
慢性的に睡眠不足で体調不良だった私に、睡眠時間を削ってまでよくわからない「超誉れ」を申請する必要ってあるんだろうか。わからなかった。どっちを優先すべきだろうか。
R先生に聞いた。
「Highest Honorsの申請をして、却下されるってこと、ないでしょうか?」
「ないない! 書類とポートフォリオ提出は、ただの形式。この学校の歴史上、申請でReject(却下)された学生はいないから。すでに成績はでてるんから、必ずもらえる。それよりHighest Honorsおめでとう。よろこびなさい、これはとても名誉なことなんだ!」
R先生は笑って私の肩を叩いた。
安心した私は、ならば、と申請書類とポートフォリオを提出した。
「Reject」の通知が届いたのは、数週間後のことだった。
は? ちょっと待て。申請はただの「形式」じゃなかったのか!? 却下されるなんて聞いてない。
もともと欲しいとも思っていなかったはずなのに、却下されたらされたで、なんか腹がたった。がっかりした。悲しかった。
私はHighest Honors審査委員の1人でもあるR先生に再び聞いた。
「なぜ私はRejectされたんでしょうか……」
「……ふつうは、Rejectしないんだよ。委員は誰もRejectしてなかったよ。けど学部長がキミのポートフォリオを見て
『こんなのはグラフィックデザインじゃない! この学生をHighest Honorsで卒業させるわけにはいかない!』
と一人反対してね……いやすまんね」
R先生は私の目を見ず、そそくさと立ち去った。
従って、私は普通のHonors(普通の誉れ)として卒業した。それだけで十分、名誉なことなんだけど、なんだかただのHonorsがもうつまんないものに感じられてしまった。「誉れ」なはずなのに、それすらもなんだかケチがつけられたみたいな。
そんな風に感じる自分にも、嫌気がさした。
卒業式でも胸の中が、ずっとザラザラしてた。
Rejectされた後、そのことを知らないY先生に
「おめでとう! Highest Honorsなんだって? すっげえ!」
と声をかけてもらったときもつらかった。
「いえ、ポートフォリオがrejectされたのでそれはナシになりまして……学部長が反対したらしく」
無の表情で説明した。70代のY先生はみるみる鬼のような顔になった。
「Fuck them! お前、こんな学校の教員の言うこと、真に受けんじゃネエぞ。お前の作品、イイよ! まっじ信じらんねえ! 却下するなんて! おい、落ち込むんじゃねえぞ。あいつらがマジFuck なだけだから!」
と、自身の権限で私の作品の一つを学校のギャラリーに展示してくれた(ちなみに校内ギャラリーに展示されることはとても名誉なこととされていた)。
「作品が全否定される」という経験で、自分でも思った以上に落ち込んだ。Y先生が言うようにべつに落ち込む必要はないと自分でも思った。「誉れ」は「誉れ」なんだし。でもなんかよくわからないけど、気分が沈む。
「学校の歴史上、初の却下! 逆にすごくない? どんだけ嫌われてんの、自分!?」
という思いが何度もよぎる。
もともと鬱だったし親からは虐待を受けていた。親から受け入れてもらえない自分。在学中、愛と情熱を注いだ作品たちも、受け入れてもらえなかった。
ここまで来たら、機能不全家庭出身の鬱の人間が考えることなんて決まっている。
「生きててすみません。」
これだ。
「ここまでトコトン、全てが受け入れられない。自分なんか、死んだ方がいいんじゃないだろうか? 」
そりゃそうだ。
「うん、死のう。そうすれば、今後誰にも迷惑かけないで済む。誰にも嫌われなくて済む。」
これ以外ない。うん、ソダね、首に縄でもかける? それとも飛び降りよっか?
(ちなみに三浦春馬さんがいなくなったの、私なんかが言うのはおこがましいけど、気持ち、わかる気がする。)
それから長い長い長ーーーーーーーい時間、考えた。
自分の表現したいものを反映した作品なんか、一切作らなくなった。文章だろうと絵だろうと音楽だろうとデザインだろうと、どんな形であれ。ここまで長く「表現」ってことをしない期間は初めてだった。
もう一生、なにも作らないだろうと思った。自分の中にあるものを表現するのは、終わったんだ、と。
なんでこうなったのか自分でもわからない。けど、最近、とても幸運なことに、自分を表現するナニカシラを作る、そういうことが、ちょっとずつでしかないんだけど、できるようになった。
ほんのちょっぴりでしかないけど。
それは文章だったり漫画だったりする。
なが~いブランクを経て、また「作品」的なものを作ることができるようになったのって、自分の中で
「誰にも認められなくても、いいですよ」
と自分で自分を許せるようになったからだと思う。
だから、自分にとっては
「なるべく多くの人に見てもらうかどうかはそんなに大事じゃなくて、本当に必要としてくれる人に届けばそれでいいんです」
っていうスタンス、絶対必要なんだよなー。
これがいいとは全然思ってないんだけど。できれば、もっと、普通になりたいんだけど。
このせいでいつもいつも私は周りの方々の気分を害してしまう。嫌われてしまう。迷惑かけてしまう。
本当に私は進歩がないんです。生きててごめんなさい。
あそこでRejectを出した学部長、アナタは正しかった!
第3話
まだまだ女性がアサーティブネスを発揮すると嫌われる社会。
つづく!
第二話
見て見ぬふりをしている社員さんたちがある意味一番怖い。
この環境から抜け出すために転職した主人公。
つづく!