ここ数日体調悪くてテンションがさがっていました。
私は去年持病のための手術をしたのですが、そこから出血したのかもしれません。
度々こういうことがあるとはいえ、今は手術前とはくらべものにならないくらい体調がよくなり、言葉にできないほどありがたいです。
おかげで手術前よりも筋トレを多くできるようになりました。
人生でいくつかのイベントが重なったせいで加速度的に体調が悪くなった5年くらい前に知り合った人たちはこう言います。
「筋トレするイメージなんてなかった」
「健康には一切気を使ってないのかと思っていた」
自分のパブリックイメージがこのようなものだったと最近知り、逆に新鮮というか、愉快な気持ちになりました。セルフイメージとかなり違っていたからです。
セルフイメージ
私は十代の頃から健康オタクで定期的にジムに通い玄米や無農薬野菜を食べ、ドイツ製の無農薬化粧品を使うような健康オタクだった。自給自足に憧れる程度には環境問題にも関心がありました。『沈黙の春(レイチェル・カーソン)』を読んで心を痛めるようなタイプ。
↓この本は本当に良い本です!誰しも一度読むといいと思います!活字が読める子なら夏休みの読書感想文とかにもいいのでは。
健康オタク・環境オタクの自分が重かった
けどそんな自分が重くもあった。リサイクルしなきゃ!という強迫観念で、裏紙じゃないまっさらの紙を使うだけで罪の意識に苛まれることさえありました。
掃除するにもなるべく環境に負荷がかからない洗剤を使いたい。けど、そういうものは近所のドラッグストアに売っていないので不便でしょうがない。
貧困と病気が深刻になって、健康オタクやリサイクル活動はできなくなりました。皮肉なもので、無農薬野菜や玄米やリサイクルといったことは、お金と健康がないと取り組むのが厳しいんですよね。
これを身をもって学べたことは一生の財産です。
タイニーハウス自給自足生活を見て思ったこと
誤解されるかもしれないのですが、私は無農薬野菜や玄米を食べていても病気や貧困になりますよ、ということが言いたいのではありません。
なぜこのことをブログに書こうと思ったかと言うと、最近アメリカの若夫婦が電気も水道もない砂漠でタイニーハウスを自作し、自給自足に近い生活を営む様子のyoutubeにはまって楽しく拝見し、昔の自分を少し思い出しました。
こういう暮らし、昔の自分だったら滅茶苦茶憧れていました。
今でもそういったライフスタイルに憧れる自分はいます。タイニーハウスを建てるのは一度経験してみたいです。究極に実用的な立体(住めちゃう!)を作るのが楽しそうだから。ホラ、うち、一応美大出身者じゃないですか~~~(知らんわ)。
僕は砂の果実
同時に、砂漠の真ん中の電気・水道のない場所で自給自足で暮らすのが今の自分にとって厳しいということも分かります。
この曲が思い出されます。
あのころの僕らが笑って軽蔑した恥ずかしい大人にあの時なったんだね……
そこから笑えばいい堕落していく僕を……
この胸が騒ぐ悲しい懐かしさで……あらかじめ失われた革命のように
とはいえ、ね。マァマァ。
昔の純粋さや勢いを失ってしまったともいえるんですが、実体験に照らし合わせて現実的にこう判断できるようになった今の自分も悪くないです。
つまり人生死なない程度に何でも経験するのは(たとえそれが貧困や病気であっても)良いことだと最近考えるようになった、ということが言いたいのかもしれません。