Jの証人の勧誘 薄汚い大人のワタシ編

寝込んでいて、人間と2週間くらいしゃべらないでいたんですが

「今宗教の勧誘がきたら、入信してしまいそうだ」

と弱気になっていました。

 

私に宗教団体に属することなど

つとまるわけがありません。

けど心が弱くなると身の丈に合わない希望を

抱くようになるのです。

 

なにかにすがりたい。

宗教に入信すれば楽になるのではないか、と。

 

先日書いた「誰かに全肯定してもらいたい」欲

が私にはあります。

それをこの瞬間

空想上の宗教に求めてしまいました。

 

そんなときピンポンがなったんですよ。

宅急便を待っていたので、判子を手に勢いよくドアをあけたら

ご婦人が立っておられました。

 

「こんにちは、Jの証人なんですけど~」

花柄花柄したお召し物を着たそのご婦人はそう仰いました。

 

覗き穴から確認せずにドアを開けたことを

後悔する自分がいました。

 

「結構です」

考えるより早く、

私の口からはよどみなく拒否の言葉が出てきました。

さっきまで宗教に入信することを検討していたことも棚に上げ、

かなりのスピードでドアを閉めながら。

 

「冊子があるので差し上げます~」

という彼女の声がドア越しに聞こえてきましたが

「だいじょうぶです」

とさらにドアを閉めながら冷酷に言い放ち

ガチャリ・ガチャリと鍵とチェーンをかけました。

 

私の行動は自分の心の冷たさと

ドアに来られた方への全否定を

はっきりと映し出すものでした。

 

こんな私が

なにものにも全肯定されないのも

当然でございます。

 

Jの証人の方々がそれ以上深追いしてこなかったことに

 ほっとした自分がいましたが

自分より年上のご婦人の眼前でぴしゃりとドアを

閉めることの後味の悪さたるや。

 

私は罪悪感にかられました。

 

わたしはアルコール依存症の両親をもつ

機能不全家庭に育ったACですからね。

罪悪感にかられやすいんですよ。

 

罪悪感を抱いた理由には、

勧誘が悪質じゃなかったこともあります。 

「Jの証人です」と正面から

堂々と名乗っては拒否されることも多いことでしょう。

 

むかし

コンサートに行こうと言われて友人についって言ったら

宗教の勧誘だったことがありました。

少し前は「手相の勉強してるんです」と

よく声をかけれれました。

 

勧誘の基本は自分の正体を隠し

「これは勧誘じゃないんです!

知ってもらいたいだけなんです!」

と言うことのはずだけど

今回はそういったことは何も言われませんでした

(言われる前にドアを閉めてしまったのも

ありますが)。

 

 

あまりに冷たくドアをしめてしまったことに

罪悪感にかられて「Jの証人」で

いろいろ検索して『昼寝するぶた』というサイトに辿り着けたのは収穫でした。

 

 

コメントありがとうございます、うれしいです。コメント欄を閉ざさない件

最近の自分のブログ、

改行や表記の統一がなされなくて

汚いです。すみません。

 

ここ数日書いた記事にコメントいただけて、とってもうれしいです。

下さった方ありがとうございます!

 

コメントなんてめったにいただけるものじゃないですからね。

 

ブログをやっていると、

批判のコメントもいただくのですが

コメント欄はずっと閉ざさないで

やってきたました。

 

私は批判のコメントも、頂くのがうれしいです。

反対意見は

自分の考えを深めるきっかけになるからです。

 

ものづくりにはなんでもそうですが、

講評をいただくのが大切だと思っています。

 

9対1くらいの割合で

ご賛同のご意見と批判的なご意見を

いただくことが

バランスのよい作品(ブログ含め)

づくりにつながるんじゃないかなぁ

と思っております。

 

両親のことを書いた過去の記事を読んでみましたが 

(以下)

加虐者はこのブログから出ていってください 毒親結社、結成おめでとうございます - ドクダミハニー_ブログ

 

私の父のどこがどうおかしいか説明するのはなかなか難しい - ドクダミハニー_ブログ

 

 

いや~私、怒ってますね!

怖いですね!

自分の記事読んでて自分で怖いです!

 

 

このとき

「テンプレクソコメントはいらない」

なんて生意気にも書いてますが、

どんなコメントでももらうのがホントに

嬉しいんですよ!

 

その証拠にコメント欄は閉ざしませんでした。

 

普通にブログを運営してれば、誰も読みになんて

来ないものです。

☆もめったにつかないし、

コメントなんてさらにめったにつきません。

 

それがいろいろ諸般の事情で

こんな駄ブログでも

アクセスが増えちゃった時期がありまして。

 

これまで機嫌よく誰にもよまれない

ブログを自由に書いていた私、

急に増えたアクセスやコメントに

慣れなくて、当時は

なんか、頭にきてたんでしょうね。

舞い上がってたというか。

 

けど私も当時はまだ30代後半のひよっこだったんですね。

ダメでしたね、ぜんぜんダメですよ。

 

けれども今や、みなさんのコメントに育てていただいて

私ももうフォーティーズに突入しました。

皆さまのコメントを拝読して

いろいろなことを考えるきっかけを

与えていただいてますから。

すこしは成長していけたらいいなと

思っております。

 

 

虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性⑤~実家とJの証人家族、個人カルト、テロや災害が起こるたびにイキイキしだす父親、『昼寝するぶた』

虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性① - ドクダミハニー_ブログ

虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性② - ドクダミハニー_ブログ

虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性③ - ドクダミハニー_ブログ

虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性④ - ドクダミハニー_ブログ

↑ ここまでのぼやきはこちらを参照ください

 

ようやく本題に入れそうです!

私が上記①~④で書いたような葛藤を抱いているのは、

未だに親のマインドコントロールが抜けていないからです。

 

それはずっと自覚していて、

私はいつからかマインドコントロールや洗脳、そしてカルト

について書かれた本をよく読むようになりました。

 

●ウチの実家は個人カルトだった

 

このブログでも

だいたいマインドコントロールについて書かれた本

ばっかり紹介してます。

 

カルトを脱会した人の手記などを読むと

もう共感しまくりで、普段生活していてめったに

感じることのない脳内物質が出るのを感じるほどです。

 

カルト脱会者が過去の経験をつづった文章には

私が今まで生きていて他人に感じた事のないレベルで共感します。

 

かといって、私は組織的なカルトに入れられていたわけではないので

書いてあることのすべてがわかるわけではありません。

ですので、共感しすぎずに共感できる

このラインが私にとって絶妙で、

学ぶところの多い読書につながるのだと思います。

 

これがもし元・被虐待児の手記などだったら、

共感しすぎ、ぜーんぶ理解できてしまうのでフラッシュバックを起こして

体調がものすごく悪くなってしまい、

本から学んだり新しい発見をしたりするどころではないのです。

 

先日読んだ本で初めて知ったのですが

組織的なカルトではなく、

個人をだまして資産を巻き上げる「自称霊能者」など

個人でマインドコントロールを行う人は

「個人カルト」というのだそうです。

 

個人カルトは組織的カルトとちがい

密室で行われるし証拠もないので

世に出にくい、とのことでした。

 

私の実家も個人カルトのようなものだったんだな、と

これを読んで思いました。

 

親に言われてきたことやされてきたことは

目撃者がいない密室で起こるので

なかなか信じてもらえません。

 

しかも「親」が「子」にそんなひどいことをする訳がない、

というのが一般常識なので、なおさら信じてもらえません。

 

そういったことが、

ますます「子」のマインドコントロールを

解けにくくしてるんじゃないでしょうか。

 

そこでもうこれからは「実家」とよぶのではなく、「個人カルト」と心の中で称し続ければ自分のマインドコントロールを軽くするライフハックになるかもしれないと思いました。

 

●Jの証人2世の方々の抱える心の問題にシンパシーを覚える

 

カルト脱会者のウェブサイトでとてもいいものを見つけました。

某宗教団体の2世だった「ゆーじ」さんという方の

『昼寝するぶた』というサイト

(ブログという名称ができる前の時代につくられた)です。

 

一切の怒り・恨みなしに書かれており

かつユーモアや皮肉が効いていて、

人間的に完成された人だったんだなあという感想です。

 

の証人に限らず、いろんなカルトの

2世の方々は脱会してからかなり苦労されるのだそうです。

心の病をかかえる方も少なくなく

自殺してしまう方も多いと聞きます。

 

そんな脱会者に向けて、

Jの証人の教義のおかしいところなどを

わかりやすく解説し、脱会した人の罪悪感が少しでも減るよう

一般社会で生きていきやすくするよう作られたページです。

 

たとえばこのページ

道は開ける

このページの「JW」「組織」「宗教」などのワードを

「親」「家族」「親が押し付ける変な価値観」

などに置き換えるて読むと、

私の抱えてる心の葛藤と、

ゆーじさんが書いてらっしゃる脱会したJW2世さんたち

が抱える心の葛藤がとても似ているとわかります。

 

●テロや災害が起こるたびにイキイキしだす父親

 

次にこのページ。

詭弁論理学

私はこの部分を読み、もうれつな既視感を覚えました。

引用:

・1979年、ソ連アフガニスタン侵攻
「北の王と南の王の争いが始まったわ!これがハルマゲドンの始まりよ!
 早く組織に戻ってきなさい!」

・1991年、湾岸戦争勃発
「これはハルマゲドンの始まりよ!早く組織に戻ってきなさい!」

・1995年、阪神淡路大震災
「これはハルマゲドンの始まりよ!早く組織に戻ってきなさい!」

・1999年7月、ノストラダムスの大予言が成就すると言われていた頃
「この世の21世紀なんか絶対来ないんだからね!それまでに間違いなく
ハルマゲドンが来るんだからね!早く組織に戻ってきなさい!」

・2001年、米国同時多発テロ
「これはハルマゲドンの始まりよ!早く組織に戻ってきなさい!」

 

私の実家(個人カルト)でも、上記のテロや災害が起こるたびに

父親が急にイキイキと騒ぎだすのとそっくりだからです。

 

「自分が常々言っていることは正しかった、その証拠としてテロや災害が起こっている」

「だからお前は実家から一歩も出るな」

ということを水を得た魚のように主張しだすんですよね。

 

平常時はまったく会話もなく、なるべく関わらないように生活していても

テロ・災害時にはわざわざ電話やメールをよこし

けれど親として子を心配しているスタンスではなく

自分の勝手な妄想を一方てきにしゃべる、という父でした。

 

1991年の湾岸戦争のときは、「いつ空爆があるかわからないから進学をとりやめろ」と高校進学を控えた私は父に言われました。

 

2001年の米国同時多発テロのときは「外に出たらテロに遭うから家から一歩も出るな」と急に電話をかけてきた父に言われました。

 

2011年の震災のときも呆れるような無神経な、日本中が間違っていて正しいのはオレだけだという趣旨だと思うんですが、理解不能なメールが送られてきました(そのころには受信拒否にしていたのですが、知人をつうじて送られてきた)

 

それ以外の平常時でも「人の集まるところ(映画館、レストランなど?)*1

は危ないから家から出るな」と常時外出を規制される生活でした。

 

もちろんお友達など外部の人を家につれてくることも禁止でした。

 

「世の中は危険に満ち溢れていて世間の人たちはみんな敵」

という父の思想(もしくは被害妄想?病気?)*2

を共有しなければならない生活でした。

 

心の中ではそんな父の考えを馬鹿にして、

全然共有していないのですが

自分の心を偽って、共有しているふりをして生きていました。

そうしないと家(個人カルト)を追い出されて

学校にも通えないと小学校の頃からおびえる生活でした。

 

2003年ごろ私はニューヨークに旅行に行ったのですが

「テロのあったツイン・タワーには絶対に近づくな(またテロがあるかもしれないから)」

という父の非論理的な被害妄想につきあわなくてはいけませんでした。

 

「この時期ニューヨークに行って、グラウンド・ゼロを見てこないなんて

一生に一度の学びのチャンスなのに、

あなたはどうかしている。なぜ行かなかった」と

当時通っていた学校の先生に叱られ、情けなかったです。

 

機能不全家族とJの証人家族との相違

このページなんかは

家族のなかの孤独

もうドンピシャで私がいたような機能不全家族

Jの証人家族の似ている点をわかりやすく表にしてくれています。

 

さらにこの段落。

私は「親を縁を切ることについてブログに書こうとすると胃が痛くなるし体調も悪くなる」と書きましたが、ゆーじさんのサイトにその現象をわかりやすく説明してくれている箇所がありました。

引用:

 

問題を正面から解決しようと思っても人の心にはそれぞれ限度があって、問題を正面から認識しようとすると頭痛や吐き気や心臓の動悸や腹痛の症状が出たり、自分の潜在意識が自分の心を守るために過去の記憶を飛ばすので正しく問題を認識できないという場合もあります。

 

 

まとめ

 

機能不全家族に育った人は、自分がかかえる問題を一般化できず、それがその人の回復を遅れさせているのではないでしょうか。

 

私もぜんぜんマインドコントロールから自由になれておらず、未だに心が苦しいのですが、ゆーじさんのサイトを読んで、やったらいいことが少し見えたかもしれません。

 

ゆーじさんはキリスト教や仏教などのことを勉強し、聖書も勉強し、Jの証人の主張が実際の聖書に書かれていることとはかけ離れていることを理解したそうです。

 

私はまだ自分が経験したことを相対化したり一般化するための知識がたりない。言葉を持っていない。そういうことだと思います。

 

最後に

ゆーじさんのご冥福をお祈りいたします

*1:父が言っていることは常に理解不能なので、言っていたことの全貌は不明です。思考回路が理解できない人の言葉って、再現不能なんです。私の文章力では無理です。クヤシイです

*2:自閉症スペクトラムなどかもしれないと勝手におもっていますが詳細は不明

虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性④

虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性① - ドクダミハニー_ブログ

虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性② - ドクダミハニー_ブログ

虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性③ - ドクダミハニー_ブログ

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なぜ親と縁をきるのがむずかしいのか考えるシリーズ~♪

 

ブログを書くときはぜったいにアウトラインをメモったり

しておかない主義(なんのアピールだ)なので

昨日なにを書こうとしていたのかもはや忘れかけている。

しかもこういうテーマで書くと体調が悪くなって

書く時間がつづけばつづくほど悪化するので

ぶっ倒れるまえにざっくり書き終えたい。

 

ぜったいこうなると思っていたのよ!((# ゚Д゚)

なのでここからのエントリは短くなると思います。

 

 

3. 親と縁を切ると、罪悪感がすごい

 

日本は未だに儒教の影響色濃くのこる社会です。

本にせよメディアにせよ、

「親を大事にしよう」、「だいじなのは絆だよね」、

「やっぱ家族っていいよね」

そういう内容のものは売れる。人々の支持を得られる。

お商売になる。

 

「毒親」ものが出版され始めたのはほんのここ数年のこと。

親と縁をきりたいと思っている人が

本やネットなどで情報を得たいと思っても、

そんな内容はほとんどないのが実情。

 

おかしい。

 

親と縁をきったのは、日本中でわたしだけなのだろうか?

そんなはずはないだろう。

なんで他の「縁キラー」たち*1

はブログを書かないの?と思う。

 

とはいえ

なぜ他の人がこういう内容の

エントリを書こうとしないのかよくわかる。

 

罪悪感がすごいのですよ。

これ書いてる今も胃が痛い。

 

親と縁を切る人なんて、ものすごくドライで

いろいろ割り切っててすっきりさわやか!

強く明るく明日に向かって生きてる人なのかなぁ

と私は思っていた。

 

けど少なくとも私はそうじゃないみたいだ。

 

なーんにもしない母の日・父の日、

家族ってクソだなとしか思わない大晦日、

絆を確かめ合わないお正月、

自分の生誕を誰にも祝われない誕生日、

そんな一年をすごすたびにに私の心には

漬物石のような「罪悪感」が溜まっていく。

それが40年分たまった今、

私は横になると、はるかはるか地底の底まで

体が沈んでいきそうになる。

 

こういうこと書くと

「本当はおとーさんおかーさんのこと、大好きなんだね♡♡」

「気になってしょうがないんだね♡♡」

などと言われる。

 

けど、それは違います。

 

おとーさんおかーさんのことが1mmも好きになれなかったから

私はこんなに罪悪感を感じているんです。

両親に、好きになれる要素がほんのすこしでもあったなら、

「ほら、あたしだって人並みに親を好きだし」

と思えるだろうし、ここまで罪悪感かんじないだろう。

 

気になっているのは、おとーさんおかーさんのことではなく自分のことです。

両親を愛せない自分がいかに人でなしか、ということが

気になってしようがない。

 

へらへら笑いながら虐待をした方の人たちではなく

虐待を受けたほうの私が「悪い人」になることに

いいようのない理不尽をかんじる。

 

私だって、「いい人」に見られたいんですよ!

それが、こんなブログエントリ書いちゃったら、

自分がいかにクズかが露呈するだけでしょ。

 

もーさいあくっすよ。

*1:「縁キラー」←こういう風に茶化した風に書くから批判コメントがくるんだよね

虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性③

虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性① - ドクダミハニー_ブログ

虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性② - ドクダミハニー_ブログ

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親と縁を切るのが

なんでこんなに難しいのか、考えている。

 

(永久に本題に辿り着かず

尻切れトンボになる可能性があります、すみません)

 

2. 劣等感にさいなまれる

 

親と縁を切っていることを世間に公表するのは気がひけることです。

アタマではその選択が絶対正しかったと思っているのに

世間に堂々と言えない理由はいろいろありますが

そのひとつに

「劣等感」がある。

私だけでしょうか。

 

親との関係で、自分は「落ちこぼれ」たからです。

世界にたった一組しかいない自分の親とも仲良くできなかった

という事実は重い。

 

自分ができていないこと(親子関係を維持すること)ができている

世の中の大多数の人に対して劣等感を抱いてしまうのです。

 

人間関係の基礎となる親子関係すら維持できないなんて、

人間としての根本的な不具合があるんだ自分は。

しかもそれはかなりおっきな不具合だぞ。

と自分で自分を責めてしまいます。割と頻繁に。

自分は世の中の人たちより劣っているんだ、と、

どーしても感じてしまう。

アタマではそんなことないと思っていても

ココロが劣等感をびしばし感じる。

 

性格的に自分とは合わない人や嫌いな人とでも

表面的には和やかにうま~く付き合える人とそうじゃない人、

どっちが大人ですか?

一般的には、前者だとされていますよね。

私は後者だということと日々、向き合わなくていけないので

疲れちゃうんですよね。

 

本当は自分の心をごまかして、

「いや、私だって人とうまくやれるんだから!」

と思い込みたい。

 

しかし「親と縁を切っている」という事実が

そうさせてくれないんですね。

 

親子関係の問題や虐待のことをネットに書くと

「もういいトシなんだからいつまでも親のことに

こだわるのはよしなさいよ」

「親を許しなさいよ」

というレスが必ずつきます。

けど、それは的外れなコメントです。

これらのレスポンスが的外れなのは

こういう理由からです。

 

親にされたことに対してこだわっているんじゃないんです。

親との関係性を切るしかなかった自分に対してこだわってるんですね。

本当にこれしかなかったのか?他に道はなかったのか?

あのときこうしていれば違っていたのか?などなど。

 

そうするしかなかったと頭では理解していても

罪悪感や劣等感にさいなまれているから、それが

外部には「無意味なこだわり」に見えてしまうんだと思います。

 

親との関係性を切ることでしか

自分や周りを守れなかった「子」の方が

虐待を行ってきた「親」*1

よっぽど世間からの許しを必要としているんじゃないでしょうか。

 

 

*1:虐待するような親はそもそも罪悪感なんてもちあわせていない。モラルハラッサー(親のこと)には自分が悪いことをしているという意識なんかありません

虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性②

虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性① - ドクダミハニー_ブログ

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親と縁を切るのが

なんでこんなに難しいのか、考えている。

 

1.『親』に代わるものがない

「親」に代わるものって、直接にはないでしょう。

誰かの養子にしてもらわない限り。

だから罪悪感がいつまでも消えないのかもしれないねぇ。

どうだろうか。

 

世間には、親(もしくは親的なもの)の代替品ならいろいろありますよ。

仕事とか、恋人とか、伴侶とか、宗教とか、

コーチ、上司、友達、

お酒とか、麻薬とか、ギャンブルとかでしょうか?

 

けど、誰かの養子にならない限り、

親と縁を切っちゃった人は

永遠に「親」という存在はもてなくなる。

 

「親」のない人は、この世に存在しません。

 

その取り換え不能な「親」というものを、

自分で捨てるんですよ!

世間一般からすれば「アタマおかしい……」と

思われること必至。

 

捨てるものとしてはおおきいですよね、「親」って。

キーホルダー捨てるのとはちがうよね。

 

たとえば不慮の事故で大切な人を亡くした、

とかではなく、

親と縁をきるのは

自分でやることですからね。

大切な人を事故・病気などでなくしたばあいとは

また違う罪悪感にさいなまれることになる。*1

 

たとえば、カルトに入っていた人が脱会したくて、

それでも宗教的な組織には属していたい、と思った場合。

世の中はいろんなカルトや宗教があるから

とりかえることはある程度可能なのかもしれない 

(不可能かもしれないけど)。

もちろんどんな宗教も唯一無二だろう。

 

しかし、今入っているカルトはちょっと合わないと思った場合

カルトや宗教的組織に属しているライフスタイルがあってるなら

別のカルトに入るという選択肢がある場合もある

かもしれない(ないかもしれないけど)

(私にはカルト脱会の大変さはわからないので

失礼な表現になっているのは謝ります)

 

けれども。

 

自分の生活や、仕事や、健康や

自分に関わる人たちを守るには、

親との縁を切る
(連絡を絶つ、それでもだめなら、行方をくらますなど)

くらいしないと自分の人生にとって大切なものたちが崩壊する。

 

そんなとき、別の「親」の「子」になる、なんて制度はない。

 

つづく
(なかなか本題に辿り着かない)

*1:大切な人を事故でなくしても私は罪悪感にさいなまれると思うけど、ちょっと種類がちがう罪悪感だと思う

虐待家庭とマインドコントロールやカルトの類似性①

私が育った家庭は
夫婦間・親子間の精神的暴力や肉体的暴力や
モラルハラスメントが多くあり
地域とのつながりがうすい密閉空間でした。

 

自分の育った家庭は、機能不全家庭であることは確かだと思うが
虐待?DV?毒親?AC?
そういうことがあてはまるかどうかは
未だに、私にはわからない。

 

家族が人と人とをつなぐちいさなコミュニティだとすれば
私の実家はそーゆー機能は果たしてなかった。
だから「機能不全家庭」であろうということは自信をもっていえる。

 

けど他の用語「虐待」?「DV」?「毒親」?
これらの言葉は、便利だから私も使うことは多々あるんだけど
それが自分に当てはまるのかどうかは
ピンときていない。

 

10年近く通ったカウンセラーさんに、
通って8年目くらいで「かなりの虐待だったと思いますよ」
と断言していただたけど、
それでもピンとこない。

 

親からの電話は着信拒否にし、住所も数回変え、
電話・郵便・メールでの連絡もせず
一度も顔も合わせなくなって10年も経つし
私はもう40歳なのに。*1

 

親と縁を切っている、

そのことに一切の迷いも後悔も頭の中にない。

むしろ、善戦しているほうじゃないかと思う
(自画自賛)。

 

けれど、罪悪感と劣等感がこころの中にある。

自分の頭の中には、そんなものはない。

けれど、こころの中には確実に、ある。

私が苦しいのはそのせいだと思う。

 

一生、こうなのかしら?

私以外でも親と縁を切った人は、

誰しもずーっとこういう心の葛藤を抱え続けるのかしら?

 

けどなあ。

自戒を込めて言うんだが、
こういうこころの状態って、とても危険だよなあ。

 

心の罪悪感と劣等感から、

『親』にかわる絶対的な存在(物理的にも価値観的にも)を

無意識に求めている自分がいることに気づいて

ショックを受けることがよくある。

 

「ACの人は親から存在の全て受け入れてもらったことがない。

だから大人になって、自分の存在のすべてを受け入れてくれそうな

人を探すけど、そんな人はこの世にいない。

大人が大人に自分の存在をすべて受け入れてもらおうとするのは間違いです

というようなことが斎藤 学さんの本に書いてあった

(大意)。

 

私なんかもう40のばあさんだけどさ。

そして、頭ではそれは間違いだと分かっているけどさ、

自分の存在すべて受け入れてもらえたら、
生きるのがどんなにラクになることでしょう……💖💖

っていう甘えはこころの中にどーしてもあるよね。

 

やすきに流されそうになっている自分のこころ。

弱い、弱い!こころ!(←こころを叱責している)

 

☆ ☆ ☆

つづく

 

 

 

 

 

 

*1:けど10代の頃より20代、20代の頃よりは30代、30代の頃よりは今のほうが精神的にはラクになってきているので、若い人は絶望しないでください